イベント・レポート

第55回 アマ名人戦

   〜〜〜アマ名人戦<涙の3位>〜〜〜

年月:2001年9月1日〜3日

場所:山形県天童

自戦記:野山知敬 


【駆り立てたもの】

 「死んでも勝ちたい」「神にもすがりたい」という言葉がある。
 今回の私はまさにそんな心境であった。
 3年ぶりに大阪代表となった。これでアマ名人戦は6度目の代表である。だが、過去の成績はどうだったかと振り返ると思わしくない。最高がベスト8、あとは1回戦負けが3つ、予選落ちがひとつ。
なんだ、これではアマ名人なんて、だいそれたことが言えるようなものではない。代表になればそれで満足なのか、と言われても仕方がない。周囲の期待を裏切り続けているではないか。アマ名人・・それは子供の頃からの夢でもある。
 私は意を決した。「優勝を狙う!!」この私を奮い立たせたものはアマ名人への熱意、大阪代表の意地、そして・・・朝日アマ名人のプライドであった。同じ大阪で同年代の中藤さんの活躍にも大いに刺激させられた。
 大会まであと1ヶ月と少しあったが、相部屋を避け、自腹で会場近くのホテルをとり、航空機も予約した。帰りはもちろん、最終日の夜の便。。。


【準備】

 だが、心意気だけでは将棋は勝てない。それなりの努力が必要だ。全国大会に備えてどのような準備をするか、しかも優勝を狙うのなら生半可なことではだめだろう。
 ひとつ決めた方針は「詰将棋」。最近はめっきり詰みを読むのが遅くなっており、終盤に自信がなくなってきた。詰パラは定期購読し、半分以上はいつも詰ましている。また、今年になってから近代将棋、将棋世界の詰将棋はすべて回答を出すようにしていたが、まだこれでは足りない。というわけで上記に加え、将棋図巧にも取り組むことにした。実は図巧については7−8年前に一度取り組んだが8番が超難解で解けず、そのままになっていたのだ。今回、7月終わり頃に8番をあとまわしにして9番から再開した。
 もうひとつは「棋譜並べ」実はリコー合宿にて「将棋年鑑」をこのために賞品で獲得することは予定の行動だったのである。といっても膨大な量なので、自分の指すような将棋(矢倉もようや振飛車への急戦など)を並べることにした。他にはアマレンの小冊子でアマ竜王戦やレーティング大会等を並べた。
 今まで夜はインターネットでだらだら観戦しているようなことが多かったのだが、その時間をすべてこのような研究に当てた。


【神頼み】

 夏休みには一人高野山へ出かけ、優勝祈願の参拝をした。ひとつひとつの仏像に手を合わせ、丁寧に拝む。
 「どうか勝たせてください。この私をアマ名人にさせてください。。。。必勝!。。。」
 するとそのとき。。。
 「ふふふ。。そんなことを拝まれたって、最後はあんたの努力次第じゃあないのかね。。。」
 「え。。。!!」
 ふと顔をあげると、そこには阿弥陀如来像が口元に微笑をたたえ、ちっぽけな私を見おろしていた。。ように見えた。。。


【山ごもり】

 高野山から更に車で1時間ほど、既に予約してあった山奥の旅館にたどり着く。ここは携帯電話も圏外、館に沿って清流が流れており、真夏というのにクーラーさえいらないという静かなところ。ここで私は3日3晩、将棋図巧と将棋年鑑並べに取り組んだ。誰にも行き先を告げず、この間、私は行方不明状態だった。
 朝6:30起床(目がさめてしまう)8:00の朝食まで図巧、昼まで1時間ごとぐらいに将棋図巧と将棋年鑑を交互に繰り返す。唯一の安らぎは昼食後、1時間ほど清流に足首をつっこんで河原で寝そべることだけだ。あとは風呂、食事以外、寝るまでほとんど研究に費やした。
 「まったく、馬鹿なことをやってるよなあ。。」棋譜を並べながらふとおかしくなったが、同時に恐ろしくもあった。
 「こんなことまでして、全国大会で勝てるのか。。。」いや、そのようなことは考えないことにしよう。きっとこの気迫は対戦相手に伝わるに違いない。
 そして二日目の夕刻、図巧を盤に並べ、それこそ身をよじって考えているうち、精神的に気分が悪くなってきた。本当の話、気が狂いそうになったのだ。顔色が青ざめ、めまいがした。「こんな馬鹿げたことをするからだ。。」後悔の念にかられながら、そのまま壁にもたれ、深呼吸を繰り返してじっとしていた。やがて1時間半ほどで落ち着きを取り戻したので風呂に入り、食事をして再び盤面の詰将棋に取り組んだ。「次は図巧の31番・・・」

 結局、この3日間で将棋年鑑を82局並べ、将棋図巧は17局詰ました。全国大会までの1ヶ月ではトータルで棋譜を約200局並べ、図巧は30局ぐらい詰めあげた。将棋図巧はひとつひとつがまさに芸術だが、難解であるゆえに自力で詰ました感動はひとしおである。詰ました中で特に私が気に入ったのは1番、6番、10番、22番、34番、39番である。いずれも解いて並べて確認したあとは、ただ感動のあまり5分ぐらいしばし盤上を見つめるばかりであった。これが400年前の作品だなんて。。。!


【全国大会:前夜祭】

 さて、いやおうもなくその日はやってきた。前夜祭でのアルコールは乾杯のときのコップ1杯だけ、と決めていた。本大会中も、結局その一杯だけだった。
 前夜祭終了まぎわ、田尻が「これからどうです?」と誘ってきたが即座に断る。田尻と小島が久しぶりだから飲もうと言っているのに、である。友情さえ犠牲にするつもりなのか。。。いや、そうではない。田尻や小島なら、きっとわかってくれるだろう。。。
 自腹の宿に帰り、寝るまで棋譜を並べ続けた。。。


【予選】

 第1局は岡山代表の松尾俊介氏。実は実戦を指すのは平成最強戦以来だったので不安もあったがまずは矢倉で快勝。
 2局目は北海道の仙台将秀氏。角交換型力戦矢倉だったが、薄い攻めをつなげてなんとか勝ちきる。
 この時点で予選抜けの一番手は私だったようで、トーナメントのくじを最初に引くこととなった。
 早く終わったので滝の湯ホテルの温泉でゆっくりする。なんとも気分がいいものだ。朝、会場に入ったときには相当気分が高ぶっていた私だが、さすがに1局勝つごとにだんだん落ち着いてきた。


【トーナメント:ベスト32】

 ベスト32は長野の村松公夫氏と。第1図よりオリジナル仕掛けを敢行する。



(第1図:▲6七銀まで)

 △6五歩▲同歩△7七角成▲同桂△2二角▲6六角△同角▲同銀△6七角▲5八角△同角成▲同金△8六歩▲同歩△9六歩▲同歩△同香▲同香△8七歩▲同飛△6九角(第2図)



(第2図:△6九角まで)

 正否は不明だが、なんといっても自分で作った定跡で指しているのだから痛快である。2図以下▲8八飛△9六角成▲9四歩△8六飛と進んだが、難しい中終盤を乗り切る。


【ベスト16】

 鳥取の松田隆さんとは10年ぶりぐらいの対戦になる。過去2局はいずれもグランドチャンピオン戦で当たっており、1勝1敗。
 本局は中盤で攻め急いだため苦しくなったが、第3図からの寄せは自慢しても許されると思う。



(第3図:△8二歩まで)

 ▲6四歩△同銀右▲同角△同銀▲7四桂△6三金▲8三歩成△同歩▲2四飛!△同飛▲8一銀まで投了(第4図)



(第4図:▲8一銀まで)

 ▲8三歩成を△同王は▲7一角がある。▲2四飛を指すときにはあまりの会心の寄せに体が震えた。投了図以下は△7三王▲8二角△8四王▲8五歩以下の即詰みである。


【ベスト8】

 石川の船登俊朗さんは初出場ながら加藤幸男、竹内俊弘、菊田裕司と破ってきているので油断ならない。
 相矢倉から攻め合いとなったが、第5図では大変苦しい。受けていてはじり貧なので勝負に出た。



(第5図:△9六歩まで)

 ▲2三桂成△同金▲2四香△9五桂▲2三香成△同王▲4一銀△5七角▲2四香△同銀▲同歩△同角成▲1五銀(第6図)



(第6図:△9六歩まで)

 △5七角では△4二金と受けて後手十分の形勢だった。第6図からは△8七桂成▲同王△9七歩成▲同香△同香成▲同桂△7八角成▲同王△7六飛▲7七歩△同飛成▲同王△7一香▲7六歩△同香▲6七王まで投了(第7図)



(第7図:▲6七王まで)

 この図のように中合いして玉をかわし、一枚足りない、というような順は図巧にて何度も経験したものである。投了図、私の持駒が七色一式あるのも珍しい。  かくして初のベスト4、最終日への進出である。さすがにここでは優勝が見えてきた、と思った。誰が出てきても勝つ!きっと!とあらためて自分に言い聞かせ、ホテルに戻る。そして、やはり寝るまで棋譜を並べていた。。。だが、夜中に目がさめて、また棋譜を並べていた。。。


【準決勝:3日目】

 長岡俊勝さんとはきっと相矢倉になると思っていた。後手番になったが、居玉のまま7筋の歩を交換する独自の駒組でよく指している形となる。だが、第8図では馬の威力が大きく、指しにくくなった。遠い。。あと2勝のはずではないのか。。。アマ名人はすぐそこにあるのではないのか。。どうしてこんなに遠いんだ。。。



(第8図:▲4六歩まで)

 △9二角▲同馬△同香▲2四歩△同銀▲4五歩△7五歩▲同歩△8六歩▲同銀△5六歩▲4六銀△7六歩(第9図)



(第9図:△7六歩まで)

 狙いの△6五歩には▲9一角があるので苦しい。△5六歩から△7六歩は苦労した勝負手。これで持ち時間の差が一気に詰まった。
 第8図以下▲7六同金△4五歩▲同銀△5七歩成▲5四歩△4三金寄▲4四歩△3三金寄▲5三歩成△同金▲5四歩△5二金▲5五角△4九角(第10図)



(第10図:△4九角まで)

 先手の銀をさばかせるのは痛いが、5七のと金も大きく、勝負形にはなった。既に長岡さんは秒読みであり、チャンスはまだある。
 第9図ではもはや金取りにかまっていられない。
 ▲3四銀△同金▲4三歩成△3三歩▲5二と△7六角成▲6四角△7三銀▲4二角成(第11図)



(第11図:▲4二角成まで)

 猛烈な攻め合い。先手は飛車の横効きがあるため一手勝ちと踏んでいる。だが、私にも狙いがあった。秒読みがせき立てる中、読み切れないまま踏み込んだ。。。が!
 △8六飛▲7七金打△6七銀▲8六金△7八銀成▲同飛△6六馬▲7七桂(第12図:投了図)まで、101手で長岡さんの勝ち。



(第12図:投了図▲7七桂まで)

 △8六飛では△1二王とし、▲3二金ならそこで△8六飛▲同歩△8七歩▲同金△7九銀▲同王△7八歩▲同王△6七銀以下詰み、というストーリーだった。なまじっかこのきれいな即詰みが見えたばっかりに、▲7七金打でだめかと思いつつ行ってしまった。。。
 △6七銀ではまだしも△6八銀が難しかったようだが、今更仕方がない。負けた。ああ、これが現実だ。。


【将棋の虫】

 決勝戦は後存知のとおり、長岡さんが若い武田俊平君に追い込まれながらも制した。強い。最近の氏の活躍は素晴らしいと思う。
 あとで聞いた話では長岡さんも私と同じく他選手との相部屋を避け、自腹で宿をとっていたという。しかも、この決勝戦当日の宿泊まで!。。。
 私は本日までの宿泊、この差だったのだろうか。私は今回「将棋の虫」になろうと努力を続けてきた。だが、長岡氏は私以上の「将棋の虫」だった。きっと私以上の努力をやってきたに違いない。

 余韻の残るホテル内のNHKスタジオをあとにし、私はふと振り返った。この1ヶ月は激動だった。さまざまな思い出を作ってきた。苦しい時間の方がずっと長かったが、喜びの瞬間も多かった。
 「また来年もこの全国大会に出るぞ。。そして、今度こそは。。」
 夕焼けの空がやけにまばゆく見えた。まだまだ捨てたもんじゃない、また全国優勝を狙ってみよう。悔しさを胸に、希望を心に刻み、私は去りがたい天童の地をあとにした。私の挑戦はまだまだ続く。。

 (記:2001.9.8)


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