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イベント・レポート

第55期名人戦第2局……「三者三様の変身への意思と気迫」

リポータ:西田文太郎 e-mail : nishida@cs.ricoh.co.jp

●対局年月:97年4月26・27日

●対局場所:東京・江東区「ホテルイースト21」

●主催:毎日新聞社・日本将棋連盟、協賛:富士通株式会社、特別協力:NTT、協力:NHK


【ツツジとハナミズキ】
 営団地下鉄東西線「東陽町駅」で地上に上がると、「永代通り」と「四つ目通り」の交差点。その「四つ目通り」を北に歩くと、左手に都立深川高校、右手に江東区役所がある。土手沿いにツツジの咲く「横十間川」という小川にかかる「いづみばし」を渡ると左手に「イースト21」という空間にでる。白と緑のきれいなハナミズキのトンネルの先に目指すホテルがあった。かなり大きな近代的な新しい建物だ。
 将棋ファン注目の名人戦のフェステイバル。ホームページとしてはやや長いかもしれないけれど、約12時間の将棋漬けだったので、感じたこと、思ったことを「変身」に着目しながらレポートしたい。


【将棋の展開】
 あとの話を分かり易くするために、将棋の展開を大まかに述べておきたい。先手羽生名人の7六歩から始まり、角換わり腰掛け銀となる。第一日目の27手目を羽生名人が117分の長考の末封じた。
 第二日、谷川竜王が30手目に4四銀と左銀も中央に繰り出して先制攻撃の構えを見せる。5五の地点で銀交換をした直後の35手目に羽生名人が4五角とカウンターパンチ。
谷川








羽生








図は▲4五角まで


 谷川竜王は次の手に昼食休憩を挟んで126分の長考をして4六銀と出る。
 羽生名人は馬を作り、谷川竜王は敵玉こびんの5七の地点に殺到する。47手目に受けの▲4八銀、48手目に40分考えて馬消しの△9二角が打たれた。その後谷川竜王の56手目、4四銀左という粘りの手や62手目3七角という非常手段が出たものの羽生名人の寄せが正確最短で、79手で先手の快勝となった。


【永世名人への先陣争い】
 名人位は、5期獲得すれば「永世名人」の資格が得られることになっている。大山康晴15世名人、中原誠16世名人まで決まっている。谷川竜王は4期獲得しているので、リーチ。羽生名人は3期獲得しているので、今期勝てば先にリーチをかけることになる。
 3時からの解説に急遽応援で加わったNHK衛星放送の「囲碁・将棋ウィークリー」の名キャスター古作登さんが明かしてくれたエピソードが興味深い。「木曜日に、用事で、羽生名人と電話で話をした。いつもは比較的気軽に話をしてくれる名人がその時に限って『えーと、それはそのう』と歯切れが悪く、近寄りがたい感じがして、緊張感が伝わってきた」と。
 羽生名人は、48勝28敗と大きくリードしてはいるものの、谷川竜王を最強のライバルと見ているのは間違いない。まして永世名人に大きく近づくチャンスだし、もし負けると先に永世名人の資格を取られるばかりでなく、4冠王対2冠王ながら名人・竜王の2冠は他の4冠より重く第一人者の立場が入れ替わってしまう。
 谷川竜王にしても、永世名人の資格は是非欲しいし、先に名人になっているのだから先にとりたいだろう。更に七冠フィーバーの頃から第一人者の座を奪われているだけにここで取り戻しておきたいところだ。
 双方にとってどのタイトル戦も大事だろうが、今回は七冠目の攻防となった2年連続の王将戦に勝るとも劣らない重要な戦いだ。また、将棋ファンにとっては見逃せない黄金カードだ。
 それを証明するかのように、ホテルイースト21のフェステイバルに集まった観客は1800人という。二上会長の挨拶の言葉によれば応募は2000通を越えたが会場の都合で、お断りせざるを得なかったという。11時開場、13時開演ということだったので、私はのんびり12時頃着いたら、600くらいある椅子は、荷物や文庫本やハンカチで占拠されていてかなり後ろの席しかとれなかった。


【連盟の変身】
 昨年2月の「七冠王誕生」からNHK朝の連ドラ「ふたりっ子」の面白さなどで、将棋人気はますます高まっている。会場にも、老若男女かなり幅広い層の人を見かける。クイズの当選発表を聞いていると地元江東区や千葉、埼玉の住所が頻繁に呼ばれていた。「将棋世界5月号」の案内によると、名人戦フェステイバルは恒例となり大好評とのことだ。
 全国各地にA級棋士・女流棋士合わせて50名あまりを派遣するほど力を入れている。解説会と並行して小学生大会や指導対局も盛り込み、いわゆる消費者思考で、ファンを大事にする姿勢が今までよりも鮮明に出ている。解説の米長九段の紹介によると、司会者は本日の一切を取り仕切っている連盟の小泉さん。会場にはプログラムもなかったが、小泉さんは「局面の進行に応じて臨機応変に対応したい」といい、結果的には旨い進行となった。1時から開会、挨拶、棋士紹介。引き続き米長九段の解説が2時まで。3時から三浦棋聖の解説に、多分急遽古作さんの応援で4時まで。4時30頃からリハーサル、45分から衛星放送の本番が6時まで。7時から小林宏六段と豊川孝弘五段のペアで、会場掲示の「次の一手」と「詰将棋」の回答。局面は谷川竜王の攻めが続くかどうかという47手目の▲4八銀の応手を解説。△6二飛が最善のようだったが、夕食休憩を挟む40分の長考の末、着手は△9二角。これは控え室でも出なかった手で、どうやらこの手を境に谷川竜王には勝ちがなくなったようだ。


【マスメディアの変身】
 インターネットの普及はこの2年ばかりすさまじい勢いだ。新聞や雑誌という紙メディアやテレビという映像メディアにとって強敵現るというところだ。それぞれ、インターネットにどう対応していくかが腕の見せ所だが、毎日新聞社は今期から名人戦をインターネットで速報を出し始めた。ファンにとって有り難いことこの上ない。連盟もホームページを出してプロ棋界情報の速報はばっちりだ。
 紙メディアは、“持って歩ける”“じっくり読める”という長所を生かしていけばいい。「週刊将棋」はデータを駆使した統計解析コーナーを作ったり、アマチュアの動向を精力的に報道したり、タイトル戦の報道も早いし解説がしっかりしているし、写真も多く、歯ごたえが出てきている。「近代将棋」は5月号から大きさを変え発売日も変え、女流棋界情報やパソコン通信の将棋対局などを取り上げてユニークな紙面作りをしている。
 NHKテレビも“早く伝える”“現場の臨場感をそのまま伝える”という長所を生かし、名人戦と竜王戦はほとんど放映するし、最近ではA級順位戦の最終局を放映するという快挙を成し遂げた。内容も充実してきて、この日の午後の放送でも村上アナの米長九段への突っ込みは鋭くしつこく、ついに「▲4八銀と打てば羽生良し」という断定を引き出してしまった。
谷川








羽生








図は▲4八銀まで


 清水女流四冠には、「村上さんはNHKで一番強いそうですね、学生時代やっていたんですか」と逆に突っ込まれて「司会は私ですから」とかわすやりとりが面白かった。
 それぞれのメディアが特長を生かして相互に補完し合っていけば相乗効果で将棋ファンには更に魅力あるものになるだろう。当ホームページも準リアルタイム性、双方向性、ボーダーレス性などを生かしてより面白いものにしていきたい。


【米長九段の変身】
 第1局の解説をテレビでやったときからびっくりした。近代将棋の6月号で詳しく読んでなるほどと思った。この日も同じようなことを“生”で聞かせて貰い嬉しくなった。第1局の△8六歩▲同歩△同角は、実は良い手だった。終盤の▲4一銀は詰めろでなかったので、羽生が△6七飛成とやらなかったのでただの人になった、という具合に辛口というか毒舌というか。以前は羽生は強いと言っていたのに「羽生に勝てる」という勝利の女神のお告げがあったのかもしれない。
 昼食休憩の前に羽生名人が4五角を打った局面で、ここではどちらかが良いはずだと言っていた。解説では角成りを防ぐいい手がないし、歩をとられるのも防げない。すると怒るしかないけれど、どれだけ怒れるかという。言外に△4六銀程度なら先手良しと判断していたような気がしてきた。確かに、あの4五角は妙着勝着なのかもしれない。それを九段は直覚していたのだ。
 米長九段ご自身に何かきっかけがあったのかどうかは分からないけれど、昨年の名人戦第5局の森内八段の敗着となった△6九銀に触れ、誰が見ても「詰む」と思う局面を羽生だけは「詰まない」と見る神業が無くなったことで力を得たのか、とにかく元気がいい。この気迫がある限り、来期の挑戦者には一押だ。私は前の名人獲得には若干不満があるので、来期は是非とって欲しい。大逆転で17世永世名人になれる可能性もある。


【羽生名人の変身】
 羽生名人は七冠になったとき、「これからは新しい将棋を作っていきたい」と言っていた。今のやり方が通用しなくなるまでは、新しいことに挑戦しなくても良さそうなものだが、やはり先頭ランナーの宿命と言うべきか。次々と新しいことを試みている。昨年の名人戦第4局の振飛車では不利と言われている定跡に自ら飛び込んだり、今期の第1局では相矢倉から例の8六同角を指した。第2局も4五角を敢行した。もっとも三浦棋聖は「この局面では、一目打ってみたい角」と解説していた。


【谷川竜王の変身】
 問題の4五角の伏線となる30手目の4四銀は、6一の金をそのままで踏み込んでいる。直前の全日プロ決勝第一局で森下八段と似た図を指して谷川竜王が負けている。そのとき森下八段は後手側を持ち、5二金と上がっている。谷川竜王は金を上がらずに一足先に攻めた。羽生・谷川両雄の対局は昨年の王将戦から、序盤でいかに早く踏み込むかを競っている。第1局の羽生8六角、第2局の谷川4四銀更に羽生4五銀。
 谷川竜王は、羽生名人にタイトル戦で分が悪い。「おとなしすぎる」「あっさりしすぎている」「もっとなりふり構わず指してくれ」などという声をよく聞く。その点、大分変わってきたと思う。第2局の駄目になってからの56手目の4四銀左などは、以前なら絶対3六同銀と指していたと思う。また、62手目の3七角という非常手段も以前なら出さなかったように感じる。人間は、なかなか変わることが難しい。しかし、谷川竜王は七冠目を献上したときに、遂に変身の意思を明確にして果敢にチャレンジしているように見える。
谷川








羽生








図は△3七角まで


 良きライバルがしのぎをけづって互角の戦いを見せてこそ、ファンの興味は高まりますますの発展が望める。そこに「まだまだ」と米長九段や中原永世十段が割り込んでくれば尚面白い。


【自分自身の変身】
 自分を変えていくというのはなかなか難しい。自己を否定するようでもあり未知の世界に飛び込むので恐ろしくもある。今回の変身は、無精で行列が嫌いでサインに価値を見いだしていなかったのに、米長九段の舌に釣られて長い行列にならび「米長邦雄」「秀行」という立派なサインを貰ったことくらいか。
 それだけでは寂しいので、毒舌の影響で、二つばかり要望を言ってみようか。9時間という持ち時間は、何か必然性があるのだろうか。この頃のように解説会が頻繁に開かれるようになると、帰りの足や時間が気になる。二日目の5時頃から秒読みになり、6時頃には終わるような設定ができれば有り難い。
 また、会場が広いのはゆったりしてとても良いのだけれど、後ろの方は見えにくくなる。階段教室のような、後ろからでも見やすい設営をしてくれると嬉しい。


 (97年4月29日記)


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