99年9月4日〜5日:甲斐駒ケ岳・赤石沢奥壁中央稜



参加者:中谷・澤田・和田


 遠征隊報告書作成会議のあと、この週末は?と言うことで、赤石沢奥壁へ行くことが決まる。一昨年5月、8丈バンドから赤石沢奥壁を眺めながら飲んだコーヒーの苦さ。ルート説明では初級者にとって好ルート、一部4級+とA1で、手こずることもあるだろう。この程度のものにそこまで思い込みをするのは、35年前関根の伝ちゃんと摩利支天を登った時、奥壁を眺めてその豪快さに引き付けられ「いつしか」の思いでしばらく写真を飾っておいたこと、S39年にあった遭難のこと、以前自分が所属していた山岳会によって初登攀がなされたことなどなどによる。
 私は甲斐駒が好きだ。既に15回登り、頂上には10回立っている。黒戸から、北沢から、尾白川を溯ったり、3年前は中谷と黄連谷を登っている。


9月5日(土)・雨

中谷・澤田・私の3人は、きつい黒戸尾根を行く。今日中に登ってしまおうなんて考えたことは、すぐに諦めになり8丈岩小舎泊りとなる。
7合を過ぎると雨が徐々に強くなり、明日はだめだろうという弱気の虫が出てきた。 憧れの8丈小舎は、残念ながら既に3人の女性クライマーの先客があり、50mほど上の岩の庇を利用し、ビバークサイトとした。S39年の遭難碑がある場所である。
夕方、雨も小止みになり、のんびりと夕食も摂れ寛ぐのだが、寒さは忍び寄る。
僅か平らな場所をみつけ横になるのだが、寒さでなかなか寝付かれない。隣の2人の鼾が聞こえると焦りが出てくる。




9月5日(日)・晴

寝たのだろう、気がつくとツエルトを通して光が差し込んできた。
鳳凰三山が紅くなり、好天を約束してくれるだろう。2人を起こし簡単な朝食を摂り8丈バンドへ、いつ見ても立派な壁だ。遭難碑のあるところで飲んだコーヒーの苦さを思い出す。
右ルンゼを横切るところに修験者の面影の銅板の角柱が建っている。こんなところまで甲斐駒講の修験者が通り、更に摩利支天まで道を付けている。クライマーとしては最高のバンドだが、修験者にとっては苦行の道なのだろう。それを使わせてもらっていることに感謝し、取り付きへ急ぐ。顕著なハングの横のクラックに、ハーケンが数本打ち込まれ中央稜を指している。
ここから覗き込むと、大武川へ一気に落ち込み、これぞ千尋の谷だ。素晴らしい高度感に身震いする。
中谷リードでクラックに取り付く。ザックが邪魔でクラックに入れない為、彼の荷物を澤田と分担する。40m登り、次に澤田が登る。
いよいよ私の番だ。どうしよう、行くか行かないか迷ったものの、今登ろうとしているのだ。体の動きは軽い、調子は良い!
壁全体に言えることだが、確保点は安定しがっちりした石楠花や樺の木があり安心だ。 日本的な岩場なのだろう、2ピッチ目は草付きのフェースで問題はない。ザイルが来ているので1000mの高度感を楽しむ。静かな岩登りであるが、2人パーティーが追いかけてきた。こちらは3人、迷惑をかけてはと思い先を譲る。
3ピッチ目はアブミを2台使いクラックを抜けて行く。壁全体にガスがかかり、見え隠れする摩利支天が聳える。
まだ中間地点を越えていない。4ピッチ目、これが核心部最後のセッションだ。
脆いフェースを慎重に越え、靴幅程のクラックに足を突っ込み登り切ると、澤田がカメラを構えていてくれポーズをとるゆとりも出てきた。
これからは、300mのブッシュ帯の登りが待っている。
急なブッシュ帯だが、しっかりした踏み跡を慎重に辿るのだが、バテた足はなかなか動かない。100歩、200歩と数えながら、右の稜線の高さを比較し足を持ち上げる。



思いのほかスピーディな動きで稜線に近づく。最後の3級、30mの岩を登ればフィナーレだ。前回桑原さんと来た時、おそらくこの辺りに出るのかなと予想した地点だ。稜線を数人の登山者がガスの切れ間から傍観できた。
「あそこを登っているわよ」「わー凄い」会話が聞こえると目の前だということが実感できる。
フィナーレは私がトップ、張り切って出たものの登山靴で登りにくいことを言い訳に、中谷にトップを譲ることとした。
スルスルとザイルが伸びていくのは嬉しいものだ。「出ました」のコールで安堵、澤田も快調に登って行く。いよいよ私だ。念願の赤石沢奥壁中央稜が自分のものになるのだ。最後の岩を掴んで稜線に飛び出した。

ガスの行き交う稜線で、今日の出来事をかみ締める。
2人の協力、私の我侭、ありがとう。今度は戸台川の氷瀑を登って、大好きな甲斐駒ヶ岳に立ちたい。



記録:和田



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