2000年9月15〜17日:黒部・奥の廊下を溯る



参加者:中谷・甲谷・和田



9月15日(金)

本当は穂高、奥又白峰の乾いた岩に行きたかった。
中谷がこんな企画をするとは思いもしなかったし、するわけもないと思っていた。
いずれにしても、甲谷さんも乗るとのこと、私もしぶしぶ参加することにした。
そう言うときは体も言うことを聞いてくれず非常にアプローチはきつかった。
その理由、後部座席にふんぞり返っていて楽をしたせいか酔ってしまう。楽はしない方がいい。歩き出してまもなくヘロヘロになりだした。
鏡平へやっと辿りつく、彼らはカキ氷だの何だのと食べている。
ここ鏡平は槍、穂高の眺めが見事でありそれを目当てのハイカーがわんさか集っている。
ここで泊まる人を羨みながらひとしきりの登りとなる。
秋に入った山だが残りの高山植物が華やいでいた。
「トリカブト」「タテヤマリンドウ」「チングルマの綿毛」少しは調子も出てきて楽になってきてホットする。
しかし、鬼のリーダ中谷は双六小屋を越え更に三俣山荘まで行くという。双六小屋3時、5時三俣山荘、天幕を設営すると6時近くになっていた。
5人用天幕に3人は居住性抜群だ、憩いの時間はたっぷり、飲み、食い、しゃべりで憩いの時間はあっという間に過ていく。風と雨が天幕を震わす。



  鏡平からの槍、穂高の眺め(2枚張合わせ)


9月16日(土)

曇天、5時雲の平へ、黒部源流の標識があり、数時間後はここへ又来るのだ。
最初の一滴を求めに薬師沢小屋から溯らなくてもいいのに、わざわざ雲の平を降りなくてはならないなんて、ぶーぶー言いながら雲の平へ、30数年前、会社の大森4階ホールで山の会主催の映画会で「雲の平への道」を見た記憶がある。
その後全く自分の山登りの対象から外れていたため見向きもしなかったがやっと到達した。
日本庭園、スイス庭園…と名付けられているがその理由は…甲谷さんもどれが、どこが納得いかない様子。
「痛い・・中谷が転んだ!!」したたか足を傷めたようだ、歩けるか、歩けないと言えば即下山、(そんなに行きたいと思わないため)
彼が薬を塗り、しばらく休むとアララ、歩き出すではないか、何という男だ、雲の平の美しさは評判であるが、天気と、季節の加減でそう感じない、木道をどんどん下る。
折角登った標高を薬師沢小屋まで一気に下る。
結構登ってくる人達に出会う、やっとのこと出合の吊り橋へ辿りつく、いよいよ源流へ、単調な河原歩きがしばらく続くが緑の水が美しい、冠 松次郎氏の時代はどのようなものであったか想像はつかないがきっとここまでの道程は想像を超える苦労があったのであろう、岩魚を狙っている釣り人何人かと出会う、余程釣り好きに違いない、3人思い思いのコースで溯る。
甲谷さんはこういう山登りスタイルに合っているのかすこぶる快調、私はこういうスタイルは合わない、「俺は都会派」乾いた岩が好み、どんどん離される。
人の気も知らないで ‘滑った・・ザブン’全身ずぶ濡れ、「だから沢は嫌なのだ」ブツブツ、しかし景観は見事だ、深い谷、この谷を詰めると黒部のはじめのひと雫が確認できると言う喜びも沸いてきた。
岩魚止めの滝、ミニナイアガラをびくびくしながらも越え快調に飛ばす。
初めはとても長い道程に嫌気も指したが終局が近くなると「一滴」を早く見たくなり皆のスピードに付いて行けるようになってきた。
水量も合流する枝沢が一つ一つ過ぎて行くとめっきり減って源頭近しを感じさせてくれる。
何やら登山者がいるではないか、縦走路へあっけなく出た。
9時間前に通った道、「黒部源流の標識」に到着、全体に大きな滝も釜も淵もなく単調な沢歩きだが黒部の名に魅せられ、冠 松次郎氏の辿った足跡に魅せられた山行きであった。


  雲ノ平と薬師岳


  ミニナイアガラの滝


  瀞を行く中谷


  鷲羽岳が見える、源頭まではもう少し



9月17日(日)

夜から朝にかけ台風の影響か、風と雨で時折目がさめる。
5時半下山開始、雨の中をひたすら歩く、登り返しのきつさに愚痴も出るがなんとか双六小屋へ、一昨日苦労して登った道も今日は下るのみ、いつものようにガンガン下り新穂高へ、楽しみにしていた温泉で汗を流し3日間の黒部行きを終えた。

この3日間鷲羽も黒部五郎も目の前

だが、そのピークは踏めなかった。

それでも黒部の懐深く入ったこと

の満足感は大きく心に残った。



記録:和田

写真:甲谷



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