リコー山の会慕士塔格登山隊1998(登山編)


第5部:山頂を目指す!



8月12日(水) 晴れ  C2入り(C1->C2)

中谷・志賀・和田・澤田:C1->C2
大谷・磯辺:C1休養

朝起きると磯辺さんが別人になっている。雪目だ!
昨日の休養日に、雪転がしをして遊んでいたのが原因のようだ。
他の隊員とは別のテントであった私は、出発の準備をすませて外で待っていると、中谷さんから突然「4名で行くことになった」と告げられる。
なぜ?と言う疑問を解決する間もなく、荷物を分けて出発となる。
今日は、A組:中谷・志賀、B組:澤田・和田のオーダーである。
4人で行くなら分担荷物が減るので、重い大きな90Lザックを背負って行く必要もない! だが50Lザックに詰め替える時間はなかった。朝食の時にでも言ってくれれば、準備のしようもあったのにと思うが、今となっては仕方が無い。
今日も辛い1日となりそうである。
先行する中谷パーティーは、ラッセルをものともせず登って行く!
私は重いザイルを引きずりながら、かなりバテバテでC2へ到着する。


8月13日(木) 晴れ  C3へ(C2->6400m)

中谷・志賀・和田・澤田:C2->6400m
大谷・磯辺:C1休養

12:18出発。C3を目指すが新雪が深くてなかなか進めない。
出発時のオーダーは、A組:中谷・澤田、B組:志賀・和田である。
今日の仕事は、中谷さんとルート旗を立てて登ることである。
ワカンを履いての登高は、昨日までの重いザイルを引きずっての登高とは違って気分的にも楽である。
40m間隔にルート旗を立てるのだが、中谷さんを先頭として、40mザイルをいっぱいに伸ばし、私が続く。そして私が中谷さんの立てたルート旗に到達する度に、上へ向かって「40」とコールし、中谷さんが新しいルート旗を立てる、その繰り返しである。
C2上部にあるFIXを越え、奥に見える大きな丘を越えた辺りで、それまで遅れていた志賀・和田組を待って、パートナーの交換をすることになる。
これから先は、この深雪の中をつぼ足でザイルを引きずりながら歩くのである。
ここからのオーダーは、A組:中谷・志賀、B組:澤田・和田となる。
昨日に続き、パートナーとなった和田さんの足取りは重い。何となく高度障害の兆候が出ているように感じられてならない。
歩き始めてすぐにワカン組からは引き離されて行く! 頑張って前に進もうとするが、深雪でスピードは上がらない。頑張らなければいけないところだが、頑張りすぎによる高山病も恐い!
21:24現在の標高は6400m!
そろそろ暗くなるので天幕を張り泊まることとなる。
天幕の中では今後のことについて話し会いがあった。
私はここ(6400m地点)で1泊したことによって、食料や燃料の予備が無くなってしまうことから、ここから先は2名で行くことを主張したが、最終的な中谷さんの決断は「C3へは3名で向かう。和田さんにはC2に下りてもらい、BCへ通じにくくなっている無線の中継をしてもらう。」と言うものであった。
ああ! 明日はワカンがなくとも重いザイルを引きずって歩くことからは開放される!


8月14日(金) 晴れ->ガス  C3入り(6400m->C3)

中谷・志賀・和田・澤田:6400m->C3
大谷・磯辺:C1->BC

朝起きるとまた新雪が積もっている。
6400mに泊まったが、私は今のところ不調が出ていない。
昨晩3名でC3を目指すことが決まったが、朝になって和田さんが「なぜ俺だけ下らなければ行けないのだ!」と言出し、同行することとなる。 隊長としては、一人で下らせるのも危険だし、一緒に行っても何とかなるのではないかと判断したようである。
しかし無線の中継はどうするのだろう?
私には、和田さんの体調はあまり良さそうには思えない。
今日のオーダーも昨日に引き続き、A組:中谷・志賀、B組:澤田・和田となる。
今日もまたザイルを引きずって、アイゼンでつぼ足で歩くのである。しかも天幕を担いで!!
ワカン組とは歩きに圧倒的な差がある為、歩き出してすぐに差がついてしまう。
何時間歩いたのだろう? ガスもかなり出てきて、先行する中谷パーティーが見え隠れする。
6800mくらいにはなっただろうか? 和田さんの状態があまり良さそうではないので、あまり引き離される前になんとかしたかった私は、中谷さんを無線で呼び出すが応答が無い!
仕方無しに大分近づいた時にホイッスルを吹くが、風にかき消されて聞こえない様子でどんどん登って行ってしまう。
そうこうする内に、6900mのC3設営地点まで着いてしまう。
既に中谷さんと志賀さんによって、天幕設営場所の整地は終わっていた。
私が到着するとすぐ、ザックから天幕が取り出され、C3の設営にとりかかるが、やはり空気が薄いのかC2設営時以上に息が苦しい。
やっとのことで天幕の設営を終え、天幕に入ると別世界である。
テントの中は、魔法の空間だ!
たっぷり砂糖の入った紅茶を飲むと、身体の芯からポカポカしてきて、生き返った心地である。
この高さまでくると、固形物はなかなか喉を通らない。
夕食は、スープと少しばかりのお粥を腹に詰めるのがやっとである。
今日もかなり消耗してしまったが、明日はアタックできるのだろうか?
天気は? メンバーは?
ワカンを履いてここまで登ってきた志賀さんが、「俺は明日ワカン無しで良いから!」と言ってくれる。おそらく私を登らせようと気をつかってくれたのだろう!
夕食後、中谷さんから明日の行動についての発表がある。
「明日は、4名でアンゼイレンしてアイゼンで歩く!」と言うものであった。
この積雪量を考えると、4人でアイゼンだけでラッセルしながら歩いたのでは、登頂はかなり難しいのでは?と思いながら寝る。
シュラフに入ると思いのほか暖かで朝までぐっすり眠ってしまう。
「今日のラッセルはしんどかった!!」


8月15日(土) 曇り->雪  一次アタック

中谷:C3->7450m->C3
澤田:C3->7300m->C3
志賀・和田:C3->7000m->C2
磯辺:BC->C1
大谷:BC休養

7:30起床。外はまだ暗い。シュラフを畳む動作も息苦しい。今日はついにアタックである。
和田さんは皆が支度を終えてもまだ起きない。昨日に増して具合は悪そうである。
スープだけの簡単な食事を済ませ、9:30C3を後に頂上を目指す。
今日は、中谷・志賀・澤田・和田の順にPPロープでアンザイレンしてアイゼンで歩く。
この深雪で、なぜワカンを使わないのだろう? 非常に疑問だ!
どのくらい歩いただろうか、胸くらいの深雪に先を阻まれる。ここで私が前に出てピッケルで強引に押し潰して進む。
その直後である。皆が和田さんの異変に気が付く。完全に高度障害が出ている!
私が下ろすことになるのかなぁ? でもこうなってしまっては、私の言うことは聞かないだろうなぁ? と思っていると、志賀さんが「俺が下ろすから2人で行け!」と言ってくれ、よろよろ歩く和田さんを連れてC3へ下って行った。
残された我々はアンザイレンをといて歩くことになる。中谷さんから「PPロープを持って行け!」と言われ、私が背負って行くことになる。今更何の為に必要なのだろうか? デポして行けば軽いのに!
ここから中谷さんが20mおきにルート旗を打ち、私が2〜3本分引き離されて歩く状態が続く。
かなり苦しい。ルート旗1本分すら続けて歩けなくなってくる。数歩進んでは止まってゼイゼイ言うことが続き、ついには座り込んでしまう。
陽が出ていて暖かい。このまま寝てしまいたいくらいである。
しばらく座っていたが、頭の中では「俺は登頂する為に頑張ってきたのではないか! 色々な人の支えがあってここまで来たのだ! さあ歩こう!」もうそれだけが支えである。
ここからはしばらく挫けることなく順調に歩き続けるが、気が付くとガスが濃くなってきて2〜3本先のルート旗が見えなくなってくる。
そんな時である。サングラスがずれたので指で上げるが直らない。仕方がないので外して見るとツルのところのネジが無くなっている。前にも山行の際に外れてしまったところである。このままでは進めないので、とりあえずツエルトを出して休憩し、ザックの中から吹雪に備えて持ってきたゴーグルを取り出す。既に14:40である。
ゴーグルをかけツエルトから頭を出すが、更にガスが濃くなったのか上も下も真っ白で戦力を削がれる。「もう少し良くなるのを待って」と思っていると、30分くらいうとうとしてしまう。ここは7300mであるのに!!
もう中谷さんには追いつかないだろう。雪もかなり降ってきて、登ってきたトレースも無くなっている。どうするか決め兼ねていたが、既に15:30を過ぎてしまったので、1人でC3へ下りることにする。私の無線機は具合が悪くなって下りて行った2人に渡してしまったので、中谷さんとは連絡がつかない。
1人で下山を開始するが、下りでもかなりなラッセルを強いられる。中谷さんはどうしているのだろうか?
ガスの晴間からやっとC3が見えるようになるがなかなか近づかない。やっとのことでC3に着き、上を見上げると中谷さんの姿が見え一安心する。
天幕の前に座るとなぜか涙が止まらない。「ここまで来たのに俺は山頂に立つだけの力が残っていないのか? ちきしょう!」(澤田:記)

二人が下山後、上部はクレバスも無さそうなのでアンザイレンを解き、ポールをザックに仕舞いながら覚悟を決める。
なんとしても山頂にリコー旗を立てなければ! 行ける所まで行ってみよう。
相棒には悪いが、後ろを振り返らずラッセルを続ける。
一旦傾斜が緩み、山頂を期待したが再び傾斜が増す。
ガスが濃く、平衡感覚が怪しくなり不安になってくる。コンパスで方向を確認したり、雪面にストックで線を書いてバランスを取り戻す。
そのうちピンクの標識ポールを使い果たし、残り赤旗25本となる。
17時半、ついに残り2本。
C3から40mピッチで50本のポールを打ってきたので、そろそろ山頂付近に来ている筈だが、ホワイトアウトで全く視界が利かず、現在位置が確認できない。
北西の風も強く、踏跡も埋まってしまうので、標識無しで先へ突っ込むのは危険と判断し登頂を断念。最後になるかもしれないので、リコー旗をピッケルに結んで写真を撮り、C3へ下山する。(中谷:記)

その晩中谷さんから「明日天気が良ければもう1度行こうと思っている」と言う話があるが、私にはどうやらもう1度アタックするだけの体力と精神力は残っていないようである。2人がもう1泊するには食料も心許無い。燃料もあまり残っていない。 今夜はポテトサラダ半分とスープを腹に入れ、シュラフに潜り込む。(澤田:記)

8月16日(日) 晴れ  2次アタック

中谷:C3->山頂->C3
澤田:C3->C2
志賀・和田:C2->C1
磯辺:C1休養
大谷:BC休養

テントを叩く風の音で目覚める。
吹雪いていたら下山しよう。撤退の理由を探しながら、シュラフの中から手を伸ばし、コンロに火を点ける。
固形物は喉を通らないのでスープを飲み、テントの外へ顔を出し様子を見る。なんと晴れている。
明後日はBC撤収日なので、今日が最後のチャンス。相棒に、行くか?、下りるよ。6200mのC2を出てから4日目、高度の影響による疲労も限界に近い。
お互いに、自分の行動に責任を持つことを確認し、単独となるが別行動とする。
ルートは上も下もトレースが埋まり、標識ポールの旗だけが雪面に出ている。
昨日はアイゼンでのラッセルに苦労したので、ワカンを履いて行くことにする。
何となく悲壮感が漂うなか、お互いの無事を祈って分かれる。11時出発。
昨日つけた標識ポールに沿って登るだけだか、10歩行っては一休みのペースで、ラッセルはなかなか進まない。
透明な空気の向うに、雪原が広がっているだけで、日本の山と何も変わらないのに、全身脱力感でとても疲れる。まるで、目に見えない毒ガスでもあるのではという錯覚すらしてくる。
ゴアテックスでできたダブルの手袋の上に羽毛のミトンをはめているが、偏西風が吹き付ける右手が冷たい。時々、ガスが流れて来る。晴れが続くことを、声に出して祈りながら登り続ける。
その甲斐もなく、ガスの中、昨日と同じ時間に最後の標識ポールに着く。
落着いて雪面を観察すると、傾斜がさらに緩くなっている。山頂の雪原に間違いないと判断し、最後のポールを抜いて、そのまま登り続けた。
しばらく行くと、突然ガスの中に黒い固まりが二つ見えてきた。おぅ、HAJで聞いていた山頂の岩だ!
ワカンのまま、その上に登って周りを見回す。ここが一番高い。18時40分、もう登らなくてもいい。
風で踏跡が消されるのが恐いので、ゆっくりはしてられない。
リコー旗を取り出し、セルフタイマーでGR−1のシャッターを切る。
3枚撮った記憶しかないが、後でみたら7枚も写していた。
無線はC2から上では通じなかったが、一方的に、登頂の報告を送信してから山頂を後にする。
消えかけた踏跡を拾いながら、ポールに戻ることができた。これで生きて帰れる。
テルモスのお湯を飲み、一息ついてから下る。約3時間後、暗くなる前に何とかC3に帰り着く。
C3にはアメリカ隊のテントが2張り増えていた。人が居ると安心だ。
食料のドライカレーはとても食べる気になれず、雪を溶かしてウドンのスープだけ飲んで、シュラフに入る。(中谷:記)

「俺もう1度行くけど一人でC2へ下れるだろう!」「はい」「今夜は多分C3泊りになると思うから」「.....」
私のできることは一緒に登ることでは無い。
既に体力の落ちて来ている私は、食料の乏しくなっている現状と、中谷さんの下山の為のトレース付けを行う必要があることを考え、登頂は諦めてC2へと下ることを決意する。
11:00出発。中谷さんは朝日の輝く中を山頂へと向かう。
私は中谷さんの後ろ姿を見ながら、これでひょっとすると会えなくなるような不安を覚える。
下山もまた容易ではない。空気も薄く既にC3に2泊した身体ではヒドンクレパスに気をつけるだけで精一杯である。天気が良いので、気晴らしに写真を取りながら下山する。コングーンが奇麗である。
途中、6400mにデポしたザイルを回収した頃には、この日C2から出発した他隊のパーティーとすれ違う。
C2が見えてくる。雪がダンゴになってアイゼンについてとれも重い。8月初め頃この先のクレパスに人が落ちて死んだと思うと、足取りも慎重にならざるを得ない。1人なので落ちても誰も見つけてはくれないだろう....
16:00 やっとのことでC2へ到着する。
デポ品を回収したり、栃木岳連隊の人と無線の件で話しをしたり、無名山塾隊の人に食料をもらったりと、かなり寄り道が多かったが、それにしても時間がかかってしまった。やはり疲れていたのだろう!
中谷さんとの約束で、C2を撤収して下りることになっていたが、天幕の入口を開けると、中には酸素発生器・コンロ等などの装備がいっぱいある。「今日全て背負って下りるのは苦しいなぁ.....」
BCと話しをする為に、スイス隊へ行き無線機をお借りする。
天幕を置いて行くなら、私の無線機も置いていって欲しかった!
BCとの交信の結果、本日C1を撤収することがわかり、私がC2を撤収して下山しても一気にBCまで下りなければいけないことがわかる。
中谷さんが今夜C2へ下りてくる可能性もある。
何かあれば私がC3へ行かなければいけない。
色々なことを考えたあげく、今夜はC2泊りにすることを決める。
疲れきった中での天幕生活は苦しい。一人なので何もする気がおきない。
そんな時、隣に天幕を張っていた栃木岳連隊の梅山南峰隊長さんから、夕食を一緒にとろうと言う誘いがあり、ご馳走になる。ありがたいことである!
この晩の出来事である。天幕で一人で寝ていると、天幕の外から足を叩く感じがして飛び起きる。中谷さんが下りてきたのか? 時計を見ると0:20! ヘッ電を点けて下りてくるとは思えないが、天幕のチャックを開けて身を乗り出して辺りを見回すが誰もいない。 え?今のは何だったのだろう??
朝になって気が付いたのだが、入口に付けたR旗が風でばたついて入口を叩いたのかもしれない!(澤田:記)

8月17日(月) 晴れ  BCへ下山

中谷:C3->BC
澤田:C2->BC
志賀:C1->5600m->BC
和田・磯辺:C1->BC
大谷:BC休養

C2:9:00「澤田さんBCから無線が入りましたよ!」の声に起こされ目を覚ます。
栃木岳連隊の無線をお借りしBCと交信したが、未だ中谷さんからの連絡はないとのことである。
今日は天気が良い! 栃木岳連隊のテントで朝食をご馳走になる。
10:30栃木岳連隊のC3へのパーティーを見送り、自分が昨晩泊まった天幕を畳み、パッキングを始める。荷物は思いの他大きい。90Lのザックは満杯で入りきれない!
12:00無名山塾隊に下山の挨拶に行き、無線を借りてBCに下山する旨を連絡する。
BCからは「C1から志賀さんが荷下げの為に迎えに出た」と言う連絡をもらう。
さあ出発! いざ荷物を背負おうとするがかなり重い! 30kg超であろうか?
12:30栃木岳連隊の梅山南峰隊長さんから「本当にそれ背負って下山するの?気をつけろよ!」との声に送り出されて下山を開始する。
6000m近い高度、下にはクレパスが口を開けている! 一歩一歩慎重に歩かなければ命取りである。
FIXが張ってある個所ややばそうな個所では、その手前で息を整えて「落ちないぞ! 大丈夫だ!」そう自分に言い聞かせて慎重に越えて行く。
クレパス帯の急なFIXのところまで来て下を見ると、志賀さんが登ってくるのが見える。
「助かった! これで少し楽になる!」
ちょうどその時である。志賀さんが持っていた無線機からBCと中谷さんの交信が聞こえてくる。ここで始めて昨日登頂し、現在下山中と言うことがわかり、一安心する。
登頂して、しかもC3に3泊も泊まったことになる! 凄い人だ!
FIXを下りきったところで志賀さんに荷物を分けると足取りも軽くなる。
リコー隊のC1は昨日ロバで荷下げしてしまっているので何もない。C1周辺の雪も、上部キャンプへ出発する頃に比べてかなり減っている。
C1に到着し、山を見上げていると「これで終わりか? 力及ばずで登頂できなかったなぁ!」そう思うとボロボロと涙が止らない。(澤田:記)

C3:隣のテントの炊事の音で目が覚める。
朝を迎えることが出来たことに感謝する。
水分のみ補給して、下山の準備に取り掛かる。
今朝も9時の定時連絡に、行動予定を一方的に送信する。
好天期に入って、今日も晴れている。
山頂へ向かうアメリカ隊がシールで出発するのを見送ってから、ワカンで下山を始める。
雲の影が点々と写っているパミールの広大な高原を、見下ろしながら下り続ける。
C2上の斜面が近づいたところで、無線でBCを呼び出すと、アダラットの元気な声が飛び込んで来る。5日間連絡が取れなかったので、心配していたようだ。
皆の無事を確認して、ほっとする。
仲間の声を聞いて、気が緩んだのか、ヒドンクレバスにビクビクしながら下る。40mピッチの標識ポールの間で一回休まないと歩けない。消耗のし過ぎだ。
もっと食わなくては。
C2が見えてくる。無名山塾隊、栃木隊の隊長さんが迎えてくれる。握手の手が暖かい。
ホットポカリスエットをご馳走になり生き返る。健闘を祈って、C2をあとにする。
セラック帯の出口のフィックスを懸垂で降りて、ヨタヨタ下り続ける。
追い越して行ったスペイン隊が、アンザイレンして一緒に下ろうと誘ってくれる。彼らのペースには付いて行けそうも無いので辞退したが、素性の分からない東洋人に親切にしてくれる気持ちが嬉しかった。
17:45にC1着。
志賀、澤田の両氏と再会。C1撤収に上がって来ているロバに荷物を預けて、重荷から解放される。住み慣れたC1もテントが片付けられ、気の抜けた感じだ。センチメンタルな気分で、もう来ることも無いであろうC1を後にする。(中谷:記)



18:00C1を後にBCへ下山を開始する。
登る時には気がつかなかったが、道の脇には花も咲いている。
疲れからかヨロヨロしながらBCを目指す。
BC手前の小川で、数日ぶりで顔を洗い、「しゃっきりしなければ」と思いながらBCへ下りる。



21:00BC到着。BCで待つ全員から盛大な出迎えを受ける。
この夜は、王さんが作ってくれた餃子でパーティーが開かれた。
ここまで禁酒していた私も、今日で登山が終了と言うことで、4300mと言う高度を忘れ、缶ビールを3本も飲んで盛り上がってしまう!


今日で登山活動は終了である!



記録:澤田

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