'97ムスターグ・アタ下見日誌





7月31日(木)北京へ:

夏休み2日前だけど、8月になると飛行機代が2万円も高くなるので、有給休暇をいただく。隣の出発ロビーは小学生の団体で大騒ぎ、行き先はなんと北京。中国が海外旅行のベスト2らしい。近くなったのか、日本が豊かになったのか。2万円浮かす人?で機内は満席。機内放送は中国語→英語→日本語の順、へたな日本語!空中小娘でこのレベル、俺の中国語は最低だな。お茶はジャスミン茶、機内は既に中国だ。4時間で北京に着陸、荷物チェックは無し。両替・バス券購入無事完了、名前だけのリムジンバスに。左回りの筈が突然、右に毛沢東の顔。あぁ、天安門!左には天安門広場!。現在位置認識。来たぁ〜中国に。感激。民航オフィースで下車。軽1BOXのタクシーで天橋賓館へ。土砂降り、夕食と安ビールの買い出し。


8月1日(金)ウルムチへ:

小吃で油条と豆乳の朝食、期待が大き過ぎた、でも15円だ。1時間歩いて民航でリコンファーム。天安門広場には赤トンボ。柴禁城はいつ来れるかな。チェックアウト後、空港へ。工事中。出発ロビーの弁当は4千年の味、旨い。ロシア製のガタガタジャンボは1時間遅れで離陸。ハミやボコダなどの機内放送、サービスはまずまず。天山の白い山にホッと、山男の特技か。4時間で砂漠の中のオアシスへ着陸。背の高いポプラがシルクロードを演出している。早速ハプニング。ザックは北京?!3ヶ国5人がウロウロ。明日の同じ便で来るらしい。明日は朝一番のフライトなのに。でもカシュガルへ転送してくれるとの事、本当かな。タクシー運転手は暇日酒店(ホリデーイン)を進めるが、分相応な紅山賓館へ。夕飯は羊の炒飯60円。標高950m?


8月2日(土)カシュガルへ:

早朝、空港へ。東へ歩いても日本は・・・感傷的に。エアー・ボルガの借上げ機で更に西へ。砂漠上空は埃っぽい、下は砂漠色。1時間半でタクラマカン砂漠を越え、カッシュガル着陸。ウイグルの街。中国人と言うよりもアラビア人だ。シルクロードが臭うスパイスが街に漂う。体調が良いので気にならないが、ウイグル語は馴染めない。本場のナン、15円うまい。宿を探しチェックイン、パスポートを出すと外国人料金で2倍。北京から4千キロ、西の端は貧しい。今日も高度チェック、標高1655m。意外と高いのが、うれしい。


8月3日(日)バザールを歩く:

今日は観光客に徹し、日曜バザールへ行く。喜多郎のシルクロードが聞こえそう。砂漠に消える河を渡ると、ロバ、荷車、トラクタ、トラックそして人人人。欧米人も多い。
早速、スノーバーに使えそうな装飾品。喉が乾くと、ハミ瓜、甘い西瓜、一切れ15円。
脇道に入ると、なんと間口1間の一大バザール。その昔は交易品市場だったのだろうか。
靴屋、布地屋、帽子屋、金物屋、部品屋、電気屋‥‥。実用品ばかりだが見ていて楽しい。水筒、ウイグル帽、ビバークに使えそうな布地を買う。昼食はウイグルうどん、45円。山へ行くのでなければ、買い物ツアー、おみあげ漁りに陥りそう。値引き交渉で疲れるけど。


8月4日(月)購入品の調査:

休日明け。先ずは中国銀行で円を元に両替。その元で帰りの航空券を無事購入、ここは未だオンライン化されてない。無愛想だ。次に公安で、未解放地域の外国人旅行証を入手50元。ザック替わりに鞄、ジャージ上下、軍用屋でキルティングを購入。ザックのことは頭に無い。エイテガル寺院そばのバザールで非常食用のナッツを仕入れる。0.5Kg単位で多すぎる。百貨店を覗く、ここは定価なので気楽だ。何処から来るのか魚もある。双眼鏡を衝動買い!。これでムスターグ・アタを見る準備ができたぞ! 街の中は歩き尽くしたが、山&レジャー用品は見あたら無い。今日は外人向けの宿でゆっくり休む、でも保証金500元は高い。


8月5日(火)アタの麓へ:

7時起床。新疆時間では5時、夜が明けたばかりだ。現地調達の可能性は今一歩だったが、今日は、いよいよパミールだ、本物のアタに会える。12時パキスタンヘ行くバスは定刻に発車。乗客は22名、屋根に荷物の山を作ったパキスタン人5名、他に白人8名、軍人2名、そして何処から沸いて来たか日本人が7人もいる。エジプトを目指す奴、チベットから来た奴などなど。13時、最後の村でゆっくりと昼食休み。左奥に白い山を見ながら、乾いた大地をひたすら走る。16時、景色が平原から渓谷へ変わると、チェックポストがある。パスポートを見せて通過。バスは地獄のようなゲス谷から、ノロノロから這い上がって行く。18時前やっと道が平坦になり、パミール高原の草原に飛び出す。ヤク、ラクダ、パオ、緑のある処には人間もいる。そろそろアタが、目の前に広がるはずだが、雲の中である。18時45分カラクリ湖に着く。湖畔にはレストラン?が2軒とパオが7張り。噂のホテルは無い。バスを降りたのは4人それぞれ一泊40元のパオに収まる。意外と広い8畳はある。ツアー客が帰った今は、アクト登山協会の立派なレストランは閉店。素朴な方で定食を食う。


8月6日(水)カシュガルへ:

7時起床、標高3500mいきなり動くとクラクラする。薄暗い湖面には、冷たい風に吹かれて波がたち、その奥にはムスターグ・アタが黒いマントを着て立っている。快晴だ。パオからソーッと荷物を引き出し、スバシをめざして快調に歩き出す。何処まで行けるかな。夕べ下見した所を越える辺りから、バテバテの兆候。自転車があればナ、ハイウェイに飽きてくる。 アタの雄姿を鑑賞しつつ道端で雉撃ち、まるごと3000mは大きい!。11時、スバシの草原で大休止。BCへ行く元気は無い、大パミールにドップリ浸かって、大満足してしまった。山なら登頂して帰り×のパターンだ。代りにパワフルな双眼鏡で、たっぷり遊ぶ。うれしい!C2、C3へのトレールが見える。それに、人も。写真よりも傾斜がある。富士の半分位か。うっ! 遠方にバス。ハイウェイに駆け戻ったが、運転手は手を振り通過。今日は帰れない。カラクリ湖へ戻る。途中現地人にバイクで送る20元、装飾ナイフ200元、商売され安い車上の人となる。20元は腑に落ちないが爽快だった。大レストラン前で漢人らしい人に、今日カシュガルへ行く車の有無を聞くと、英語で「これに乗っていけ」と喀什地区登山協会のマイクロを指す。結局、ウルムチで手配した欧米人の、アタBCツアーのバスで、その通訳兼ガイドに拾われたのだった。さすがに日本製バスは快適で早い。登山協会はツアーでも稼いでいたのか。この方が良いかもしれない。4時間後の18時、カシュガル色満賓館に着く。30元だった。お礼と来年アタに登ることを告げると、名刺をくれた。ツアー部マネージャーの王 副主任である。あとで散々お世話になるとは。高級な色満賓館を避け、チニヤケの旧館に泊まる。ツイン180元。パキ行きのバスが出るので、パキスタン人が多い。ドアの外がうるさい、どうもツインに一人で泊まっている金満日本人が気に入らないらしい。段々エスカレートしてきて、ヤバイ雰囲気になってきたので、 2時、窓から非難脱走することにした。2階だが結構高い。昔、欧米の領事館だったせいか西洋建築である、無事着地。こんな時頼れる処は、登山協会しかない。暗闇だけどなれた道。


8月7日(木)ウルムチへ:

朝帰り?らしい人に名刺を見せて、王さんのところへ案内してもらう。事情を説明。
荷物の回収と明日のフライトを今日への変更の、援助をお願いする。5時、宿へ戻り荷物を回収。酔っ払っていて暴れたらしい。その後エアーチケットも変更できた。痛み出した腰のマッサージに病院に連れて行ってもらう。鎮痛剤と止血剤を渡される。ギックリ腰かと思っていたが、1ヶ月後骨折と分かる。山ばかりで上半身がなまっていたと反省の毎日です。再度、宿へ戻り王さんがマネージャーに抗議。フライト時間まで、静楼(高級な部屋の建物だった)で休むことになる。今旅2回目の対不起を聞く。チープな処は安全もチープ。協会アレンジのツアーではノートラブル。クラスをわきまえないといけないとの言葉に納得した。お世話になった王さんは、また来いと言って帰って行った。 真謝謝 である。
夜景を見ながら、飛行機はウルムチに降りた。漢族一色の街に、なぜか気が休まる。
ダメ元と腹を括って荷物係りへ行くと、ザックはカシュガルに送ってあるとのこと、あぁ〜。 明日の便で、送り返してくれることになった。壁の荷物不正常処理90%の目標が気に掛る。今夜は思い切って暇日酒店(ホリデーイン)に泊まる。さすがにワールドチェーン、外とは別世界。でも、服務員の彼らの普段の生活を想うと、素直には喜べない。


8月8日(金)ザックに再会:

ウルムチの街を探検する。百貨店、書店、ウイグル人街など、しかし百万都市は広い。歩きが楽しいが、タクシー利用が多くなる。ビルの谷間から見たボコタの白い峰が印象的だった。宿を華僑賓館に替える。多くの隊が使っている宿だ。7Fに日綿の事務所があった。ここにも、ヨーロッパのキャンピングカーが来ている。現代の胡人、東方見聞だ。夕方、空港へザックの回収に。行きはリムジンが無く、タクシーを使う。メーターで走る真面目な?人だった。日本人とみれば2倍も珍しくないのに。暗い空港に爆音が響き、着陸する。音が砂漠に吸い込まれるのか、余韻が無い。出口からロビーに逆行し、ターンテーブルを見つめる。まだ半信半疑。 来た!!!旅の終わりで無事再会。
多謝?。早速、宿で中味チェック。OK。やっと毎日の洗濯から開放された。髭も剃って、気分一新。でも、使えなかったガイドブックやカメラなどなどで、重くなった荷物が辛い。
エレベータの前に陣取っていたフロアー担当の服務員は、最後の客が戻ってくるのを待っていたようだ。もっと、丁寧にお礼を言えば良かった。相変わらず回転が遅い。


8月9日(土)北京へ:

9時のフライトなので7時にチェックアウトする。道は未だ人はいないが、人民公園の小吃は混んでいる。ロシヤジャンボ:イリュウシン86の乗り込む。4個目の扇子かとおもったら、新疆航空の帽子だった。エアコンが効いているからイイか。
なつかしい首都空港に到着。これでどうなっても帰れる。16元のリムジンで北京駅へ。待望の地下鉄に乗る。2元。おばさんが後ろの席が空いたと教えてくれる。今夜は、三ツ星の竹園賓館に泊まる。四御院作りだそうだが、現代的なシングルルームが当たった。中国最後の宿、奮発して冷えたビールを頂く。鐘楼を見に行く元気もなく、家へ電話して早めに休む。


8月10日(日)無事帰国:

今日も、また早朝フライト。でも北京時間なので、違和感はない。タクシーは、故宮・紫禁城の裏から、中南海を抜けて民航オフィスへ。10元。リムジンバスで空港へ。
京成電車の中で、‥‥自然の一員としては中国庶民の方が強いのに、イヤ日本人が一番弱いかもしれない‥‥日本にはスキが無いなぁ‥‥これが日本製が売れる理由か‥‥物作りが今の日本の反映のルーツか‥‥  気に掛かったことでした。

来年も行きます。もう少し力を付けて。

記録:中谷


準備編(全体スケジュール)に戻る
リコー山の会慕士塔格登山隊1998のページに戻る