第57弾:選手がみせた、その横顔 47

Inside the RICOH BlackRams

2012.09.12

リコーブラックラムズ(リコーラグビー部)を支える選手たちの、ラガーマンとしての思いや、これまでのキャリアに関するエピソードをご紹介します。リコーというラグビーチームは、彼らの個性と歩んできた道程、積みあげてきた経験が混ざりあって、今の姿があります。

最初は不安だった日本での生活、いまでは、リコーは我家のよう。(ロイ・キニキニラウ)

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 チーム一の大型バックスとして、スターティングメンバーでも途中出場でも、観客に大きなインパクトを残すロイ・キニキニラウ選手(以下、ロイ選手)。

フィールドを蹂躙するダイナミックなプレイスタイルとは裏腹にインタビューでのシャイな印象は意外だった。いつも応援してくれるファンの皆様のために良いプレーを、と何度も口にするロイ選手とラグビーの出会いは、意外にも高校に入ってからだ。

「生まれはトンガ。6才頃までトンガで過ごし、その後はニュージーランド・ウェリントンに家族で移り住みました。小さい頃はおとなしい子供だったと思いますが、同時にチーキー(生意気)だったとも思います。

周りの友だちは、チームでラグビーをしていたけど、敬虔なクリスチャンである両親のもとに生まれた僕は、毎週土曜日は家族で必ず教会に通わねばならなくて・・・。結局、ラグビーを始めたのは高校に入ってから、16才からなんですよ。

その16才ごろまで身体は小さかったんです。ちょうどラグビーを始めたと同時に背が伸び始めて、いまの体格(193cm)のになりました(笑)」

「両親は物静かな性格でしたけれど、私が幼い頃はラグビーを始めることに反対していましたね。怪我をするのを嫌がったのだと思います。ですが、クリケットやバスケットボール、ダイビングなど色々なことで体を動かして遊んでいました。なにしろ親戚が近くに多くいたものですから・・・。なにをするにもメンバーには事欠かなかったですね(笑)」

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 そんなロイ選手はある日、日本行きを決意する。
周囲は、あまりに突然なことにとても驚いていた。

「ラグビー選手として次のステップに進むべきとき、と考えていたし、日本に行くという選択は、ラグビーの環境や本国との時差など条件が整っていたからです。決断は意外とあっさりと。当時、所属していたチームのコーチから慌てて慰留されましたが、もう決めました、という感じで。

それでも最初は不安はありましたね。初めて行く国だし、言葉も通じないだろうし。でも東京・世田谷のリコー総合グランドに来てみたら、その不安は一掃されました。最初からアットホームな雰囲気で皆が迎えてくれました。いまでは我家のような居心地です」

自宅は、グラウンドの近く、世田谷で家族とともに生活を快適に楽しんでいる。

ご家族について聞いてみると、、、

「長女(14才、アーリアちゃん)はいまニュージーランドに住んでいますが、妻と5才の次女(エバちゃん)2才の長男(リョウちゃん)とオフの日は一緒に過ごしています。どこに出掛けるか、ですか? 色々なところに連れては行きますが、特によく遊びに行くのは、リコー総合グランドですョ(笑)。緑が多いところですし、子供たちのお気に入りスポットです」

最後にリコーのラグビーについて聞いた。
「もちろんトップリーグ優勝が目標です。リコーにはそのチャンスがある。トップリーグのレベルは確実に上がっているし、全体が底上げされていると感じる。でも最後はハートの強いチーム(リコー)が勝つと信じて闘っています。本気です」

チームで一番、ハートのある選手といっても過言ではないロイ選手。
トップリーグを勝ち抜くリコーにとって、ロイ選手の活躍は欠かせない。そんな彼にファンの皆さんへのメッセージを語ってもらった。
「いつもリコーを応援してくれて、本当にありがとうございます。僕はスターティングメンバーでも、途中出場であっても、観客席にいる皆さんに喜んでもらえるようなプレーを魅せたいと思っています。ぜひ観客席から"RAZA!"(ロイのあだ名)と叫んでください。良いプレーをたくさんご覧いただけると思います!」

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 リコーが誇る大型WTB、ロイ・キニキニラウ選手。
実は、チームで一番、優しさを兼ね備えている。ずばり、ハートのある選手だ。

彼がフィールドで躍動するとき、チームは、目標実現にまた一歩近づくだろう。

  • ロイ・キニキニラウ選手のプロフィールはこちら

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