Black Rams - RICOH RUGBY FOOTBALL TEAM -

相紘二選手 インタビュー

2008.07.28

「いやぁ、自分でもびっくりしています」

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 相 紘二はリコーブラックラムズに入部してからの約3ヵ月を、まるで実感が湧いていないかのように振り返った。

 2008年7月12日、15時頃。リコーと東芝ブレイブルーパスが練習試合を行う約1時間前だ。この試合にも、相は出場予定だった。

 6月21日の近鉄ライナーズ戦(花園)で初先発を飾る。以降、フランカー(FL)として連続スタメン出場を続け、そのたびに評価を高めている。

「“ジュニア”は、よくボールに絡んでいる」

 選手を「熱いハート」の有無で選ぶトッド・ローデンヘッドコーチ(HC)も、こう言って目を細める。ブレイクダウン(ボール争奪戦)へ真っ先に突っ込むルーキーの献身ぶりを見て、「将来リコーの核になる」と言い切るのだ。

 新人選手の採用に携わったチーム関係者も、「“ジュニア”は走るラインがいい。お兄ちゃんと同じようなプレーをするなぁ」と、絶賛する。

 ちなみに“ジュニア”とは相の呼び名である。チームメイトでもある、相亮太の弟、という意味だ。

――お兄さんと同じ浦和ラグビースクール(RS)でラグビーを始めました。その時の年齢は。

「6歳です。兄の練習を見に行ったら、『お前も遊び感覚でやってみないか』と誘われたのが最初です。ギリギリ幼稚園の時ですかね。面白かったですよ、ボールを持って走ることとか。あとは周りに友達がいた。1人でやるスポーツじゃないんで、“友達とラグビーをやれる”ってことが楽しかったです」

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――中学では。

「学校にラグビー部がなかったんで、陸上部に入りました。で、陸上部 は日曜日が休みだったんで、日曜にラグビーの練習(小学校時代と同じく浦和RS)に行っていました。ずっと続けられた理由? 単純にラグビーが好きだったのもありますし、あとは周りですね。友達も頑張っていた。1人も辞めないで一緒にやっていましたから」

――高校も、お兄さんと同じく大東文化大付属第一高校(一高)へ入学します。

「強いトコ(学校)で(ラグビーを)やりたかったんです。でも、地元・埼玉の強いトコっていうと家から遠い。だったら東京に出たほうが早いんで、東京の強いところに、と。兄が行っていたこともあって、自分にも(一高から誘いの)話が来たんです。通っていたRSの監督と一高の監督の仲が良かったし、兄も行っていた。そういう繋がりもあって」

――そこでの思い出の試合は。

「1番憶えているのは、3年の時の東京都の決勝(全国高校ラグビー東京都予選決勝戦・対本郷高校・△=15対15)。同点だったんですけど(抽選で)負けたっていうのが、思い出というか、忘れられない。自分が主将で、そういうところで負けてしまって・・・。いい思い出ではないです。でも、『そこに行くまでみんなとやってきたんだな』って思います。

 でもやっぱり、試合というか、練習の方が思い出です。みんなで苦労してやってきたってことが1番の思い出かな、と。自分1人だけじゃ、多少はボールを前に持って行けるんですけど、トライまで持って行くことはできない。それに、1人でやるよりみんなとやってたほうが楽しい。みんなの意見を聞けば、プレーの幅も広がってくるんで、そういう意見をどんどん聞くようにしている。1人で考えるより、15人で考えたほうがプレーも良くなると思う」

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――大学は、エスカレーター式に大東文化大学(大東)に進まず、流通経済大学(流経)に進学します。

「自分が高校3年の時に、一高のOBで昔流経のコーチだった人がいて、その人が流経の監督と仲が良かった。それで流経に行ってみないかって話があって。

 人数が多いんです、流経は。150人近くいる。その中でも上から下まで全員をちゃんと見てくれる。そこに関してはしっかりしている大学。変なことはできないっていうか、人間としてちゃんとできる環境ではあるのかなって。(チーム状況は)いつも大学選手権にギリギリ行けるかどうかの瀬戸際の状態。その中でみんながまとまって大学選手権を決めた時が1番嬉しかったですね」

――リコーへの入部を決めたのは。

「5月くらいですね。(他チームを含め)色々と見てみても、リコーがしっかりしてる。ラグビーもそうだし、スタッフの人たちの話を聞いて、仕事のことも理解できた。あとは、東京にあるというのが(大きかった)。大学が茨城で、東京の方に出てきたいなというのはあったんで(笑)。今のところは、ラグビーを辞めたあともリコーに(残って仕事をしよう)、と」

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――目標の選手像は。

「自分の尊敬する選手であり、ライバルっていうのが、兄なんです。兄のプレーを小さい頃からずっと見ているんで、お手本みたいな感じだった。ポジションも一緒だし、プレースタイルも似ているみたいですね。

 でも、そこを超えたいって気持ちがあります。『相の弟だから』と見られるんじゃなく、自分1人として(見られたい)。いつも『兄が兄が』ってなるんで、そういう風に思われないぐらいになりたい。やっぱり兄よりもいいプレーをすることですよね。自分は今まで兄しか見ていなかった。今は周りにもすごい選手がいるんで、すごい選手の真似をできればいい。良いプレーは本当に真似したい」

“ジュニア”のプレーに「お兄ちゃんと同じ」と高評価を与えたチーム関係者は、こうも言っている。

「(兄・亮太ほどの)サイズはないけど、スピードは弟のほうがある」

 兄弟揃ってブレイクダウンでの献身ぶりが魅力ではある。だが、自身より先にボールに絡んできた相手を蹴散らす兄に対して、弟は最前線へ相手よりも速く飛び込む。そんなイメージを表した言葉かもしれない。「弟だから」と見られたくないという相 紘二は、兄と似て非なるプレイヤー、という意味だ。“ジュニア”というあだ名が外される日は、果たして来るのだろうか――。

 ちなみに東芝戦は、初めて兄弟揃っての出場だった。

 背番号7を付けた弟は、背番号5の兄と共にピッチを駆ける。うだるような暑さのなか、最前線で絶えず身体を張って、相手が抱え込むボールに上腕を絡めた。それらは守備と攻撃を、ボールを持つ者と待つ者を繋ぐプレーだった。その動きからは、再三口にしていた「1人よりもみんなで」という相の原点が伺える。

(文 ・ 向 風見也)

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