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Science July 30 2010, Vol.329


探りを入れるが乱さない(Probed But Not Perturbed)

量子情報の処理や操作は、古典的コンピュータより高性能で安全性の高い情報交換という観点から前途有望である。しかしながら、量子情報は繊細であり、情報の読み取りでさえ破壊的,確率的な処理であり、量子状態として記憶されているその情報を取り出すためにいくつもの測定が必要である。ダイアモンド中の窒素空孔に対して、Neumann たちは (p. 542、7月1日号電子版) これらの制約が排除できることを示した。空孔の核スピンのスピン状態が周囲の電子スピンの上にマップ化され、そしてそこから単一ショット(single-shot)の測定で非破壊的に読み出せるように、測定の手順が設計され、実行された。(Sk,KU,nk)
Single-Shot Readout of a Single Nuclear Spin
p. 542-544.

絹への洞察(Insight into Silks)

カイコは何千年もの間飼われ続けている。そして、カイコの絹糸は衣類・ベッドのシーツ・シャツやドレスの布地に使われているほか、他の目的、例えば傷口を縫い合わせる糸にも使われている。クモの糸は収穫するのは難しく、そのためカイコのような広い用途が見出されていない。しかし、強い耐久力と伸張性というすばらしい特性の組み合わせは、もっと詳しく研究したいという関心を引く材料となっている。OmenettoとKaplanは(p.528)、クモの糸の化学、クモの糸の再構成や人工的な合成、及び、クモの糸の材料を用いて開発されてきた一連のアプリケーション等に関する我々の理解をレビューしている。(Uc,KU)
New Opportunities for an Ancient Material
p. 528-531.

反応への傾倒(Tilting Toward Reaction)

分子と金属表面の間の反応は、天然の原料を燃料や有用な化合物に変換する種々の触媒反応の基礎となっている。ニッケルが触媒としてメタンから水素を剥ぎ取るような反応は、メタン分子がニッケル表面に触れる直前にメチル基の C-H 結合が振動しているか否かに依存している。Yoderたちは (p.553)、この系について深く追求した。入射してくる分子のサンプルを偏光赤外光を用いて整列することによって、炭化水素は表面に対して直角に振動するよりも平行に振動する際の方が早く反応することを示している。(Uc,KU)
Steric Effects in the Chemisorption of Vibrationally Excited Methane on Ni(100)
p. 553-556.

悪魔は細部に宿る(Devil in the Detail)

同じ環境内での遺伝的に同一の細胞は、単細胞レベルにおいて既に、表現型の変化をもたらすような遺伝子発現の変化を示している。しかしながら、遺伝子の多くはその発現にどの程度のばらつきを示すのだろうか?Taniguchiたち(p. 533; Tyagi による展望記事参照)は黄色蛍光タンパク質融合ライブラリを用いて、大腸菌におけるメッセンジャーRNA(mRNA)とタンパク質双方の単細胞大規模プロファイリングに関して報告している。高存在量のタンパク質における或る共通の外因性のノイズと同じく、大きなゆらぎが低存在量のタンパク質において観測された。注目すべき点は、単細胞の実験において、同じ遺伝子に対するmRNAとタンパク質のレベルは相関が無いということである。(KU,nk)
Quantifying E. coli Proteome and Transcriptome with Single-Molecule Sensitivity in Single Cells
p. 533-538.

呼吸するのを待つ(Waiting to Exhale)

肺組織は再生せず、それゆえ病気で損傷したり外科手術で除去されたりすると肺移植が唯一の治療選択肢となることが多い。ドナー組織は不足しており、ラボでの機能的かつ移植可能な肺組織を作ることが多年にわたり待ち望まれていた。Petersenたち(p. 538,6月24日号電子版;Wagner and Griffithによる展望記事参照)は、この方向に向けての重要なステップに関して報告している。ラットの肺の細胞成分を洗剤で穏やかに除去した後で、残された骨組みの細胞外基質 (元の肺の柔軟性と機械的性質を保持している) は、肺の上皮細胞及び血管内皮細胞の混合物で再度種付けされ、そしてバイオリアクター内で培養された。数日内にこの人工的肺組織は、適切な細胞型で再増殖した肺胞、微小血管、及び小さな気道を備えるようになった。短期間の間ラットに移植したところ、この人工的肺はガス交換の証拠を示した。(KU,nk,kj)
Tissue-Engineered Lungs for in Vivo Implantation
p. 538-541.

グラフェンの電子状態を歪ませる(Straining Graphene's Electronic States)

単層グラファイトであるグラフェンの伝導電子は非常に高い移動度を有している。外部磁場を印加することによりサイクロトロン運動をする伝導電子に由来する離散的なエネルギー準位、ランダウ準位を観測することができる。近年、グラフェンを歪ませた場合、擬似的な磁場が発生し、ランダウ準位が観測できることが理論的に予測されている。Levy らは(p.544)走査型トンネル顕微鏡を用いて、白金表面で成長したグラフェンのエネルギー準位を調べた。白金表面では高度に歪んだナノバブルが形成されるという。この歪み応力は、300テスラ以上の非常に強い磁場を印加するのと同等の効果を有する。グラフェンの電気的特性はひずみを形成することで制御可能であることが示された。(NK,nk)
Strain-Induced Pseudo-Magnetic Fields Greater Than 300 Tesla in Graphene Nanobubbles
p. 544-547.

ナノ物質の製法(Manufacturing Nanomaterials)

多くのナノスケール材料の研究により、この小さな寸法で作用する時のみに出現する性質が明らかにされた。デバイス製造においては、ナノ物質を特異的なパターンにデポしたり、或いはアセンブルする必要があった。Schlieheたち(p.550;表紙参照)は、硫化鉛(PbS)ナノ結晶の二次元シートへの配向付着(oriennted attachment)を示している。そのパッキングは、ナノ結晶同士の相互作用に影響する溶媒の選択によりもたらされる。このナノ結晶は卓越した光導電性を示し、そして何等の付加的な化学処理も必要とせずに光検出装置中に組み込まれた。(KU,nk)
Ultrathin PbS Sheets by Two-Dimensional Oriented Attachment
p. 550-553.

ゆっくりした吸い込み(Sinking in Slowly)

北極が温暖になり、その海氷が溶け続けるにつれて、より多くの海洋表面が露出するようになり、そのため、大気からの二酸化炭素がより多く取り込まれる可能性が生ずる。Cai たち (p.556, 7月22日号電子版) は、一連の北極海の断面図に基づく結果を与えている。それによると、表面の海水中の CO2 量が、近年大幅に増加していることが示されている。これは、将来の CO2 の取り込みに対する障害として作用し、そして、北極海が多量の CO2 の吸い込みとなると予測されているが、そのようにはならないであろうことが示唆される。(Wt,KU,nk)
Decrease in the CO2 Uptake Capacity in an Ice-Free Arctic Ocean Basin
p. 556-559.

上皮性間隙の形成(Epithelial Cleft Formation)

多くの胚性器官の内部構築は上皮内枝(上皮の枝分かれ)プロセスの反復によって完成する。上皮性間隙と成長が、腺や他の器官の上皮内枝を作り出す。Onodera たち(p. 562)は、遺伝子Btbd7が細胞外基質と形態形成を結ぶ上皮の成長と間隙形成の制御因子であることを同定した。Btbd7は間隙進行部位にある基質タンパク質によって誘発され、転写制御因子を誘発し、細胞接着を抑制する。その結果、局所的な細胞分離と運動によって一過性の組織ギャップを作り、そのギャップが間隙になり、そしてこれが分枝器官形成を助けることになる。(Ej,hE,nk)
Btbd7 Regulates Epithelial Cell Dynamics and Branching Morphogenesis
p. 562-565.

アルカンの合成に向けて(Toward Alkane Synthesis)

アルカンは化石燃料の主要な成分であるが、アルカンの合成は、再生可能な原材料を燃料に転換する際の難題であり続けている。多様な生物体がアルカンを合成してはいるが、合成経路は掴みきれていない。このたび Schirmer たちは、脂肪酸代謝の中間生成物をアルカン及びアルケンへと転換する、ラン藻におけるアルカン生合成経路を記述している(p. 559)。その生合成遺伝子を外から入れて発現させると大腸菌におけるアルカンの産生も可能になった。この経路は、バイオ燃料の産生において価値ある手段となりそうである。(KF,kj)
Microbial Biosynthesis of Alkanes
p. 559-562.

心臓を作る(Building the Heart)

鳥類や哺乳類の、複数の小室からなる心臓は、一次の心臓管(primary heart tube)に第二の心臓場(SHF: second heart field)由来の前駆細胞を付加することによって発生している。Stolfiたちは、単純な脊索動物であるユウレイボヤにおいて、心臓と心房サイホン筋(ASM)前駆体が、非対称細胞分裂の後に続いて共通の先駆細胞から生じること、また転写制御因子COE(Collier/Olf1/EBF)がこの運命選択に関与していることを示している(p. 565)。このASM前駆物質は、SHFと下顎筋を出現させる脊椎動物の咽頭性中胚葉を発現しており、これは双方の起源が尾索類と脊椎動物の最後の共通の祖先にまで遡れる可能性があることを示唆するものである。(KF,kj)
Early Chordate Origins of the Vertebrate Second Heart Field
p. 565-568.

前立腺癌の別の犯人細胞(Another Cell Culprit in Prostate Cancer)

ヒトの癌の細胞性起源についての議論の余地ある最近の仮説、いわゆる「癌幹細胞仮説」は、ありふれた上皮癌を生じさせる特異的細胞型を同定することに関する興味をかきたてている。起源となる単一の細胞が明確に定義されれば、原理的に、標的を明確にしたより効率的な治療法がもたらされる。組織学的証拠及び/またはマウス腫瘍の研究に基づいて、管腔細胞が前立腺癌の起源となる細胞と信じられている。このたび、良性のヒトの前立腺組織由来の細胞の機能的アッセイを用いて、Goldsteinたちは、別の細胞型である基底細胞が、マウスにおいて、ヒトの前立腺腫瘍に非常によく似た前立腺腫瘍を生じさせうることを明らかにした(p. 568)。つまり、前立腺癌の起源となる細胞は、予期されていたよりもずっと複雑である可能性がある。(KF,kj)
Identification of a Cell of Origin for Human Prostate Cancer
p. 568-571.

アストロサイト、ATP、脳幹に呼吸(Astrocytes, ATP, Brainstem, and Breathing)

アストロサイト(あるいはグリア細胞)は、以前は脳生理学的に受動的な役割を担うものと想定されていたが、いくつかの複雑な行動において機能的な役割を果たしている可能性がある。呼吸の中枢内の化学受容性制御には、脳幹における高度に特殊化した神経細胞集団が関与しているが、アストロサイトはどうだろうか? Gourineたちはこのたび、グリア細胞が呼吸の制御を助けている可能性があるとする証拠を提示している(p. 571、7月15日号電子版)。in vitroの実験で、アストロサイトのカルシウムレベルが上昇すると呼吸中枢における化学感覚主要座位のニューロンの脱分極が誘発されることが明らかになった。これらニューロンの脱分極は、隣接するアストロサイトが細胞外のpHレベルの下降に応答して、ATP小胞を放出することで誘導されていた。つまり、脳幹アストロサイトは血液及び脳の二酸化炭素の変化を感知する能力があり、呼吸を制御する呼吸性神経回路網の活性を制御している可能性があるのだ。(KF,kj)
Astrocytes Control Breathing Through pH-Dependent Release of ATP
p. 571-575.

超流動からMott絶縁体へ(From Superfluid to Mott Insulator)

光学的格子を形成する低温原子気体の最も魅力的な特徴は、これによって凝集物質系をシミュレート出来ることである。これらの量子系シミュレーションの結果は、通常、原子集団全体での平均値として、あるいは、いくつかの格子点にかけての粗い局所的平均値として表現されている。Bakr たち(p. 547,6月17日号電子版、および、DeMarcoによる展望記事参照)は、Rb-87ボーズ気体の超流動からMott絶縁状態への遷移が単一の格子点においてどう見えるかを示した。その結果、均一個数密度の特徴的な凝集殻状態がMott絶縁体奥深くに観察でき、局所量子動力学状態の探索により驚くほど短時間の時間尺度が明らかになった。ここで同定された低欠損のMott構造は、量子磁性実験の出発点となるであろう。(Ej,nk)
Probing the Superfluid-to-Mott Insulator Transition at the Single-Atom Level
p. 547-550.

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