私の将棋上達法

(学生将棋を振り返って)

馬上 勇人 e-mail : hayato.moue@nts.ricoh.co.jp


 私は明治大学の将棋研究会に所属し大学生活の4+1年間を将棋に費やしてきた。将棋を通じて数々のライバルや盟友、尊敬すべき先輩、かわいい後輩と出会ってきた。北は北海道から南は沖縄までだ。
 彼らといっしょに将棋を続けているうちに私は強くなることができた。 そこでこうしたかけがいのない仲間達と共に過ごした学生時代を振りかえりながら思ったり感じたことについて書いていきたい。

【決意】

関東新人王戦

 入学当初の私は非常に自己中心的で自信過剰な男であった。この大会の直前にも、とあるコンパで優勝宣言をしていたくらいで全く負ける気はしなかった。同期には後の学生名人となる鈴木貴幸君や下山知徳君がいたが自分の方が強いと過信していたくらいだから呆れてしまう。でもやっぱり自分の方がちょっと強かったかも・・。
 準決勝の相手は東大のゴリくん(下山知徳)だった。彼とはこの後、私の盟友として私生活での交流を含め、お互い刺激しあう仲になる。いっしょにラスベガスにいき朝のベッドのチップ代を賭けて毎朝、将棋を指したのは非常に不愉快な思い出で懐かしい。(毎回、自分が出してた。)
 この準決勝はあまりの私の圧勝で棋譜を載せるほどでもないので割愛させて頂く。たしか記録係を務めてくれたのは当時、東大の主将で全日本委員長だった東野徹男さんで、「緊張した。」とゴリ君があとでいってたなあ。決勝の相手は早稲田の田口君。彼は同期の中で一番しっかりしていて、何故か自分も彼に対して敬語を使っていた。将棋は彼の右玉VS私の矢倉であった。図は田口君が△8五歩と合わせた局面。

 ここから私は過激に攻めこむ。▲5二歩△8一飛▲6四歩△同銀▲5四角△6三金▲4五銀△同銀▲同桂△8六歩▲8二歩△同飛▲8三歩△同飛▲6一銀△8二玉▲6三角成と進んだ。
 後手としては次に△8七銀と打ち込むしかないが、銀をわたすと▲7二馬以下詰んでしまうため、ここでは勝ちになっている。我ながらよくもまあ、こんな順が見えたもんだ。ただでさえ8筋に飛車を回りたがっている所に▲5二歩とは今なら打てない。ちなみに今の第一感は▲5四歩かな。当時の私は切り合いが好きな攻め将棋だった。ともあれ、この大会で優勝し自信を深めることができた。

学生名人戦(観戦)

 この新人王戦に先立って学生名人戦が行われていたので観戦にいった。正直、学生将棋のレベルを甘くみていた自分にとって深く衝撃を受けた。終盤のレベルが明らかに自分とは全然違った。中でも決勝戦の河原慶(慶應)−林隆弘(早稲田)戦は圧巻だった。この将棋は途中、林さんが優勢だったが河原さんがものすごい追い込みをみせて図の局面を迎える。

 ここからがまたすごい。△7三桂▲5三桂成△8五桂▲4二成桂△同金▲4三銀△5七角▲6八歩△2二玉▲4二角成△3八竜。
 ▲4三銀と打たれて後手玉は必死クラスかと思っていたのだが、△5七角が攻防の一手で詰めろ逃れの詰めろになっている。△3八竜の局面が詰まないと分かったときは鳥肌がたった。すごい!すごすぎる〜!
 投了後、うなだれる林さんに「ツイてなかったですね。」と声をかけたのだが、その時に側にいた石井豊さんの一言が今でも忘れられない。「林君クラスだとこれくらいは読みきれなきゃいけなかったんだよ。」なんてかっこいいんだ!いつかこの人達と対等に戦えるようになりたい。そう私は強く心に思った。


【確信】

関東個人戦準決勝(2年時)

 1年の時は春、秋の関東個人戦には参加しなかった。春は将棋研究会に入会するのが遅かったためこの大会の存在を知らず、秋はワールドカップ予選の日韓戦をどうしてもテレビで見たかったためである。
 初参加であるこの大会に私は勝ち進み準決勝の相手は学生名人の河原さんだった。関東新人王をとったもののその後はパッとした成績が残せずリーグ戦においても勝ち越すのがやっとであった。学生のトップレベルの方々には全然勝たしてもらえず、東野さんにいたっては全然よかった将棋を気合だけで逆られるといったありさまだった。河原さんにも春のリーグ戦で力負けしている。「今度こそ勝ちたい。」そう思った。
 将棋は相矢倉からの難しい将棋だったが終盤で会心の勝負手が成功して勝つことができた。あの河原さんに勝てたというのは本当に嬉しかった。「これで学生将棋の世界でもやっていける。」根拠のない自信が確信へとかわった瞬間であった。

 決勝は林さんだった。林さんとは同じ静岡出身ということもあって昔から大変尊敬している先輩だ。常に自分の何歩も先をいっていた。将棋の質が非常に高く、妥協を許さない指し手と逆転の終盤術に自分は酔いしれていた。その思いは今もかわらない。アマチュア棋士の中で最もプロに勝てる人だと思う。
 そういった憧れの存在である林さんと決勝を戦うというのはとても嬉しかった。将棋は自分の完敗であった。もっと強くなっていつかまた挑戦したい。

 私が大学3年生の時、明大将研に衝撃が走る出来事があった。清水上徹の入学である。アマ棋界に疎い私でも彼の名前はもちろん知っていた。小、中、高で全国制覇を成し遂げたあの天才清水上である。当時の主将であった有岡博巳さんに震える声で電話した。「あの清水上が明治に入りました。」有岡、「ほおー、おおー」あんなに嬉しそうな有岡さんの声を私はかつて聞いたことがない。これで団体戦でも優勝が狙える・・。
 そしてこの時、同時に入学してきたのが藤井佳久。高校時代は全くの無名であり私の存在を脅かすようになるとは当時、知るよしもなかった。
 天才清水上はかわいい奴だった。彼とは毎日のように将棋を指し、自然と棋力もアップしていった。蛇足だが、清水上は民主党代表の「菅直人」を平気で「すがなおと」と呼ぶなどなかなかユニークな奴だった。


【挫折】

学生名人戦(3年時)

 そして迎えた学生名人戦。関東ではコンスタントに勝てるようになった自分も全国的にはまだ無名。この辺で全国の皆さんに力をアピールしなければと臨んだ大会だった。順調に勝ち進んで準決勝の相手は天野啓吾君。彼とは1年前にこの大会であたり、大優勢であった将棋を逆転負けしている。「同じ相手に2度も負けられない。」しかし、その思いもむなしくまたしても敗れた。1年前と同じ位よかった将棋をまたも自分から転んでしまった。この敗戦はかなりこたえた。後輩に負けるのはつらい。偉大な先輩方の姿を追ってきた自分も新しい力の前にあっという間に抜き去られてしまった。決勝の天野ー清水上の下で3決の馬上ー下山戦が行われた。観戦に訪れていた東大OBの樋田さんが温かい目でこちらをみていた。

 この敗戦を機会に自分は極度の不振に陥った。切りあい一手勝ちを目指す将棋が少しでも読みきれないと妥協してしまい、おかしくなる。自分の将棋に自信がもてなくなった。後輩の藤井の活躍も自分を焦らせた。
 秋の関東個人戦。自分はこの時初めて全国大会への切符を逃してしまう。直後のリーグ戦もボロボロだった。チーム内における自分に対する視線が冷たいものに変わっていったのをはっきりと感じとれた。どうしたら強くなれるんだ?そう思いつつも答えは見つからなかった。

 あれは、その年の十傑戦2日目が行われた日だった。週刊将棋の水沢さんから私の携帯に電話がかかってきた。「今度の奨励会対学生の企画で学生側の代表として藤井佳久さんに出場して頂きたいので彼の電話番号を教えて頂けますか?」私は側にいた藤井に電話をかわった。藤井の声が弾んでいた。結局、明治からは清水上、藤井が選ばれ自分は選ばれなかった。「まあ、がんばってくださいよ。」彼らにかける精一杯の言葉だった。二人の対局の日、自分は見にいかなかった。将棋をやってて一番苦しい時期だった。


【プライド】

春のリーグ戦(4年時)

 今年時から主将をやることになった。伊藤享史という大型ルーキーも加わり本格的に優勝を目指せるチームになった。春のリーグ戦、優勝候補No1といわれながらも東大、早稲田に3−4負け。自分は2度の負けに貢献してしまった。自分が負けちゃいけないと思う程に指し手が萎縮してしまい本来の手が指せなくなった。
 仲間の視線が一層厳しくなっていたのは感じていたが、もう開き直っていた。このまま何もしないで終わってしまうのだけはやめよう。秋までになんとかしよう。そんな時、小林健二先生の本が目にとまった。 「鍛錬千日、勝負一瞬」 文字通り、一瞬の勝負のために何日も努力せよという意味だ。今までの自分は勝負はその日の精神状態や体調、気合などによって左右されるといった精神論を重視するあまり日頃の努力を怠っていた。手痛い敗戦の後も、やけ酒飲んで終わりでは次へとつながるはずがない。すぐに効果がでなくてもいいから毎日、棋譜並べをしよう。そう思いこの日から真剣に将棋に取り組むようになった。

秋のリーグ戦

 直前の関東個人戦で3位になったものの内容がひどく、とても万全の状態とはいえなかった。ただ、このリーグ戦だけは絶対に負けられない。今が明治大学史上最強のチームであることは疑いようがなかった。「このチームで王座戦にいけなかったら、いついくんだ?」そう言い聞かせた。プレッシャーは相当なものだったがそれを打ち消すくらい、チームに一体感があった。一人一人がみんなを信頼していた。結果、ぶっちぎりの全勝優勝することができた。個人的にも全勝することができ、自信を回復することができた。

 王座戦に先だってオーダーを決めることになった。問題は大将を誰にするかということだ。2年前から王座戦を見てきた自分にとって大将は特別な存在だった。主将としてこの1年間がんばってきたという自信もある。どうしてもあの席に座りたい。しかし、それに反対する者が1名いた。清水上だった。本来だったら彼がエースなのは言うまでもないであろう。しかし彼はこの年、深刻な不調に陥っていた。東日本大会で早稲田の岡安さんに往復ビンタをくらう程の絶不調だった。学名にも十傑にも代表にはなっていなかった。今の調子なら自分の方が上であろう。そう思って言ったのだったが彼は譲らなかった。エースとしてのプライドがあったからであろう。
 「二人で勝負をして決めましょう。」そう彼は言ったが、自分は即座にこれを断った。自信がなかったからだ。代わりに「明日の平成最強戦(東京)で優勝したら譲ってもいい。」そう言った。
 次の日、清水上は見事にこの大会に優勝した。あいつのプライドを見た気がした。


【銀メダル】

王座戦

 こうして自分達は王座戦を戦うことになった。みんな初めての経験で緊張していたが、順調に勝ち進み立命館大学との全勝対決になった。立命館は直前の東大戦で東大を完封しておりその勢いは凄まじかった。自分の相手は佐伯前学生王将だった。私の先手で始まった将棋は序盤のミスから一方的に攻められる展開となり図の局面をむかえる。後手玉は手付かずで先手玉は今にも詰みそうだ。隣で戦っている藤井が悲しそうな表情でこちらをみてくる。辛かった。ただ、私にはひとつだけ狙いがあった。▲9五歩△8八角成▲同銀△6九銀▲5七角。先手玉は金があれば△8六金以下簡単に詰んでしまうが▲5七角が狙っていた手で一気に難しくなったと思っていた。

 △同馬▲同金△5八銀成▲7五角△5二歩。ここで、▲5八金と銀をとってしまいすべてが終わってしまった。
 次の△7七歩成を完璧に見落としていた。▲5六香または▲7四香としてれば大変だったと思う。終わったあとチームが3−3で残っていたと聞いて、大変申し訳なく思った。この敗戦は一生忘れることができない。

十傑戦

 王座戦の敗戦のショックから立ち直る間もなく十傑戦が始まった。予選で負けるもその後は立ち直り、準決勝は加藤幸男君(立命館)だった。矢倉の最新形から、攻めを細かくつなぎ快勝することができた。四日市に行く前に勝又先生から教わった変化と全くいっしょになった。先生はこの年、何度も大学に足を運んでくださり非常にお世話になった。そして、決勝戦の相手は鈴木貴幸くん。彼とは同期で仲がよく1年の時から将棋をよく指している。そんな彼と全国大会の決勝を戦えるのは嬉しかった。戦型はお互い、得意の矢倉。相当の気合をいれて指したが勝てなかった。実力不足だった。こうして冬の四日市は団体、個人共に準優勝。健闘したといえばそうであろう。だが勝てなければ、優勝しなければ意味がない。銀メダルはいくつとっても金メダルにはならないのだ。一番になりたい・・・。強くそう思った。


【再出発】

春のリーグ戦(5年時)

 この春のリーグ戦は本当にひどかった。当時、私は非常に悩んでいた。将棋ばっかりに費やしてきた大学生活であったがいい加減に進路を決めなければいけない。かなり普通の悩みだ。はっきりいって将棋どころではなかった。「自分が何をしたいのか?」そう、自問自答する日々が続いた。初日から黒星を屈するなど5−2。清水上、藤井は全勝。秋までにはもっと強くならないとチームにとって必要ない人になってしまう。

東日本大会

 この夏はかなり好調だった。理由はわかりやすい。就職が決まったからだ。これで心に重くのしかかってたものがとれた。春のリーグ戦で優勝したため私達は東日本大会にでることができた。もちろん初めての体験である。この東日本大会の団体戦はかなりもめた。5人制の団体戦を行うわけだが、清水上と藤井は後輩の育成につなげたかったらしく、1、2年を試したかったようで勝ち負けはどうでもよかった風だった。
 一方、私はどうしても勝ちたかった。若手の育成も確かに大事なことだがそんなことをしている場合なのか?今年、王座戦で優勝しなければ何も始まらない。そのためにはレギュラー陣の戦力アップは不可欠なのだ。東日本という大会ははっきりいってそんなに大きな大会ではない。だが、こういうところできっちりと優勝という結果を出すことがチームとして自信につながると思っていた。伊藤も勝ちにこだわっている風らしく、私と同じ意見だったが主将の清水上とはとうとう妥協点を見つけることができなかった。結局9回中、2回出ただけで後は出場を辞退した。明治は結局3位に終わった。

 せっかく仙台まで来たのにこれでは来た意味を感じない。出るつもりはない個人戦にでてみた。結果は優勝。メンバー的に強豪は決勝であたったうちの伊藤くらいしかいなかったので楽に優勝することができた。ともあれ、関東新人王に続く2つ目のタイトルがとれたのでちょっと嬉しかった。東日本名人獲得。


【熱戦】

秋のリーグ戦、選抜大会

 秋の個人戦がはじまる前、一ヶ月ほどアメリカのボストンにいってきた。野茂を見たり、ハーバードへいったりと毎日が楽しかった。あの9月11日(火)のテロ事件さえなければ・・・。あの日のことは今でもよく覚えている。本当に怖かった。その日のことについては機会があればまたどこかで書いてみたい。
 帰国後、ほどなくして秋の関東リーグ戦がはじまった。王座戦出場に向けて大事な最後のリーグ戦である。だが、チームの雰囲気はあまりいいように思えなかった。
 去年の秋から春と関東で連覇してきたことによる自信が過信といった形で表れていた。「関東で負けるハズがない。」

 そして三日目、我々は東大との全勝対決に3−4で敗れ優勝を逃した。関東リーグ戦における連勝も21でストップしてしまった。その日のみんなの落胆ぶりは相当なものだった。飲み会では皆、声がなくOBの方々が必死になってみんなを励ましてくれてた。そしてみんなで話あった。選抜まであとわずか。落ち込んでいる暇はない。気持ちを切り換えて前へ進まなければ。その日の大学の掲示板に自分はこう書きこんだ。
 「はいあがろう。ここで負けたということが我々にとってひとつの財産であったといえるように・・・。」この敗戦を次につなげていくしかない。

 選抜までの一ヶ月は本当に長かった。毎日、寝る前に不安になった。何をしても心の底から楽しめない。そんな毎日だった。そしてむかえた選抜大会2日目。「ここで勝たなければこの一年間、何をやってきたのかわからない。絶対に勝つ!」そう自分に言い聞かせた。
 ところが準決勝の学習院大学戦でまさかの大苦戦。私と清水上、藤井が勝ったのだが伊藤が負け、もうひとつ負けで3−2で2つ残っていた。ひとつが必敗形、もうひとつは大熱戦という状況だった。結局、2つとも勝って5−2で勝つことができたのだが私は大いに不満だった。なんでこんなところで苦戦するんだ。
 チームから勝利に対する執念が伝わってこない。決勝の相手の早稲田は慶応を完封して最高の状態できている。このままでは勝てない・・・。

 みんなの気持ちがひとつにまとまらなければ絶対に勝てない。このチームで全国を制覇したいんだ。このままここで終わりたくない。そう思うとみんなに言わずにはいられなかった。
 「去年、あれほど悔しい思いをしたはずなのにみんなはそれを忘れてしまったの?みんなはわかっているのか?これほどのメンバーが集まることはもうないんだ。今回が明治大学将棋研究会にとって全国優勝を目指せる一番のチャンスなんだぞ。ここまで応援してくださったOBの皆さんのためにも。そして自分自身のためにも絶対に勝とう!。」

 決勝戦は3−3から清水上ー細川戦が残った。清水上が大優勢の局面から細川君が凄まじい追い込みをみせる。とてもみていられなかった。これを負けたら清水上は一生後悔し続けるんだろうな。ふとそう思った。あいつのこの一年間の苦労を知っていた自分は思った。「神様、この将棋をあいつの負けにさせたら一生恨むよ。」大熱戦の末、清水上は勝ちきった。終局の時は歓声は一言もあがらずため息だけがでた。熱い勝負だった。


【全国制覇】

王座戦

 今年も大学日本一を決める王座戦が四日市で行われた。この一年間、ここまでくるのは本当に大変だった。大学将棋の集大成として今まで自分が培っていたすべてを出し切ろう。もう後悔はしたくない。これが最後なんだから。

 立命館と当たる前まで全勝でいけるかどうかがひとつの山場だと思っていた。今年のうちは層が薄いため勝ち数勝負になると勝てない。優勝するには全勝優勝しかなかった。初日から二日目の朝までは危なげなく勝つことができたが、五回戦の大阪市立大学戦は本当に苦しかった。3−3で残った将棋が全然ダメになっていたため正直、終わったなと思った。傍のいすに座りながら「奇跡よおこれ。」と祈っていた。この将棋を勝ったとき、流れを感じることができ「これでいける。」と思った。

 二日目の夜、ホテルの一室に集まってみんなで明日に向けての意気込みを話した。この一年間、いろいろあったが全国優勝という目標のもとにチームはこれまでで最高にまとまった。優勝するのにふさわしいチームになったと思った。
 部屋に戻るがなかなか寝つけない。明日のことを考えると胸の高まりを抑えることができなかった。泣いても笑っても明日ですべてが決まる。

 三日目。睡眠時間が少なかったわりには頭はすっきりとしていた。なんとなく勝てる気がすると自分に暗示をかけてみる。自分はこの手をよく使う。
 まずは東大戦。東大には先に書いたよう、秋のリーグ戦で敗れている。思えばあそこがつまづきの第一歩だった。もうあんな苦しい思いはしたくない。
 自分の将棋は快勝だった。3−3で清水上が残っていたが指しているのがあいつだったので不安はなかった。「ここ一番であいつが負けるわけがない。」

 そしてとうとう全勝のまま立命館戦をむかえた。立命館も当然ながら全勝。48−1と驚異的な勝ち数だった。この立命館戦の前にちょっとしたアクシデントがおこった。オーダー表5分前になっても清水上が現れないのだ。電話をかけてみるとなんとあいつは「ココイチ」でカレーを食べていた。どうやら開始時間を15分勘違いしたらしい。さすがここ一番の清水上・・・。代わりにオーダー交換は自分がやった。一年ぶりにやったのでかなり緊張した。

 開始5分前にみんなで集まった。そして主将の清水上が一言だけ言った。「絶対に勝とう。」(あいつはいつもこれしか言わない。)自分も何か言おうと思ったが将棋のことで頭がいっぱいだったため何も言うことができなかった。それに今のみんなには何も言う必要がなかった。

 自分の将棋は相手の雁木に対して機敏に動いた。ちょっかいを出してから受けにまわるという自分が一番好きなパターンに持ち込む。そして図の△2四桂馬が決め手。

 後手はどう応じても対処が難しい。本譜は以下▲6三歩成△3六桂▲6四角△5三金▲同と△4八桂成▲同玉△5三角となり、だいぶよくなった。勝ちになった瞬間はかなり震えたが慎重に寄せきることができた。やっと昨年の借りを返せた。達成感でいっぱいだった。そしてチームも5−2で勝つ。遂に立命館を倒したのだ。そして次の鳥取大学戦にも勝ち、全勝優勝することができた。

 自分が入学した時、明治は関東で残留争いをしている最中だった。王座戦は指すところではなく見るところだと思っていた。自分がまさか優勝メンバーの一員になれるなんて夢にも思わなかった。この優勝は自分一人の力では絶対になしえない。本当にいい仲間に恵まれたと思う。昨年、自分が不甲斐ない負けをして3−4だった時、誰からも責められなかった。「よくがんばってくれましたね。」そういってくれた一言にどれほど救われたことか・・・。自分は、本当に精神的に弱くてプレッシャーがかかるといつも逃げ出したがる臆病者だったが、みんなのおかげでこうして最高の経験をすることができた。みんなには深く感謝している。

 帰りの電車は自分の前の主将の有岡さんといっしょだった。鳥取からわざわざ応援しにきてくれた。有岡さんにはどうしてもいいたい一言があった。自分は今年勝つことによって昨年の借りを返すことができたが昨年、卒業してしまった有岡さんにとっては一年前が最後の王座戦だった。借りを返す機会はなかった。去年、自分が勝っていれば・・・。「去年勝てなくてすいませんでした。」そう言いたかった。

 名古屋駅での別れ際に「お疲れー」っと言われた。「来てよかったしょ?」と聞いてみる。「まあね。」そうこたえる有岡さんの嬉しそうな表情をみてるうちに何も言えなくなってしまった。

 「それじゃあ、またどこかで会いましょう。」
 「うん。じゃあね。」

 こうして名古屋駅を後にした。

 そして、この2週間後に行われた全国オール学生選手権(個人戦)で自分は初めて全国優勝することができた。


【終わりに】

 こうして学生将棋を振り返ってきたわけだが、将棋を上達する一番の近道は身近に目標をもつことだと思う。自分は大学に入って以来、常にたくさんのライバルが側にいた。いつもライバルを意識していて彼らより少しでも強くなろうと思っていた。だから、同期や後輩に先にタイトルをとられるとすごく悔しかった。仲間のタイトル獲得に素直に喜べない自分に「自分ってほんと性格悪いなあ。」と感じで悩んだ時期もあった。でもそれはそれでしょうがなかったと感じる。悔しいと思うのは「自分にも絶対できたのに。」と思うからであり、こうやって刺激しあうことによりお互いが強くなっていく。
 そして何より自分を成長させてくれたのは団体戦である。みんなで全国優勝という目標に向かって研究会を開いたり、プロの棋譜をいっしょに並べたりしていた。一人では続けていくことが難しいが、みんなでやることによって続けられる。実際みんなと将棋を指すことはすごく楽しかった。

 自分は大事な勝負の時にいつも2つのことを意識している。
 ひとつは自分を信じること。相手が強敵の時や極度にプレッシャーがかかった時に自分を見失い、何をやっているのかわからなくなってしまうことがよくある。将棋は一対一のゲームであり、誰も助けてくれない。今までやってきたことを信じてやっていくしかない。
 そして諦めないこと。どんな勝負も終わってみなければわからない。諦めたときが試合終了だと思う。全国オール学生の決勝戦は本当に全然ダメな将棋だったが諦めなかったのがよかった。

 最後に何より大事なことは「続けていくこと。」
 自分が将棋を覚えたのは小学校三年生の時だった。あれから、15年近くたつが今だにやり続けている。今までにも数え切れないくらい手痛い敗戦があり精神的にきつい時期もたくさんあった。しかし、そういった敗戦を乗り越えひとつの経験という財産にかえることにより新たなステップへと飛躍することができると思う。これからも将棋をやり続け、今よりも少しでも強くなれるようがんばっていきたいと思う。

 最後になりましたが私の文章にここまでお付き合い頂いてどうもありがとうございます。


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