イベント・レポート

九州紀行(小倉〜天草〜別府)

年月日:2002年11月21日(木)〜11月26日(火)

リポータ:野山 知敬 

【一週間の休暇】

 早いもので今年で入社20年目になる。リコーではキリのいい五年間の単位で休暇と旅行券がもらえる制度があり、これを活用して旅行することとした。

 9月はじめ、行き先は九州と決めて計画を作る。九州では天草に田尻がいるし、また、ちょうどそのころ3度目の早咲アマ名人誕生というすごい出来事があり、九州における将棋の強さの秘密をさぐりたいという興味もあった。また、これは個人的なことなのだが、母親を連れて温泉旅行も兼ねることとした。5年前親父が死んだとき、なにもしてやれなかったことを後悔していたので。。。また、今回は自家用車ですべて行動することも決めた。九州まで大変な道のりだが、自分の足で行けば自分の好きなようにできるし、人に迷惑もかけないだろう。

 日程について田尻と相談したところ、11月24日に「たいぶり名人戦」があり、早咲アマ名人も招待するのでこの日に合わせてきてほしいとのこと。おお、渡りに船とはこのことだ。九州と言っても相当広いのであまりあちこちは回れない。行き先は北村公一氏を訪ねて小倉(九棋会道場)、田尻を訪ねて天草、早咲氏を訪ねて別府へ、と決めた。思い立ったその日のうちに(9月なかばだったが)この3氏と連絡をとり、現地でいろいろ話をしたいことと共に地元の若手と将棋を指したい旨を伝えた。

【広島〜山口へ 11月21日(木)】

 さて、これは基本的には温泉旅行なので一日目は山口の湯田温泉に行く。なにせ九州まで車で行くのははじめてなので、一日で一気に九州まで行くのは不安があり、九州に近いところへまずは一泊することにした。

 いきなり山口へ行くのも時間がもったいないので、途中広島へ寄る。あまり時間もなかったが平和記念公園を観光。悲惨な戦争の記録、とりわけ原爆の悲劇は永遠に世界中の人の心に残ることだろう。。。

 広島から山口までは山陽道を使ってもかなり遠く、2時間以上かかる。宿では竜王戦を見たかったがあいにくBSが設置されていなかったのでインターネットで結果を見る。羽生の圧勝。関西としてはあべたかさんの奮起に期待したい。

【小倉(九棋会)へ 11月22日(金)】

 山口から関門海峡へは意外なほどすんなり行けて、あっという間に九州へ上陸してしまった。この日の温泉は小倉から1時間ほど離れた二日市温泉だったが、時間に余裕があったので一気に宿のある筑紫野ICまで行ってしまう。それでもまだ余裕があったので太宰府天満宮へ。

 さて、北村さんと約束の14時過ぎ小倉の九棋会道場へ到着。着いてからはしばし北村さんと茶飲み話。彼は脱サラ後、この道場を大学の先輩から引き継いでもう10ヶ月になるという。実家の山口から通うのも2時間かかるので大変なようだ。でも、好きで選んだ道だし、九州棋界を盛り上げるためにぜひがんばってもらいたい。

 さて、お願いしていた若手の対戦相手は高校3年生の北川馨(きたがわけい)君。高校選手権代表2回ほかの実績があり、北村さんの弟子とのこと。もちろん私にとっては気楽な対局なのだが、将来有望な若手と指すのは大変楽しみである。

小倉にて

 将棋の方は相懸かりで激しい将棋となったが、私の方に一手残っていたようだ。詳細は棋譜もつけていただいて九棋会のホームページ(http://kyukikai.hp.infoseek.co.jp/)に掲載してもらったので、ご覧ください。

 温泉宿をとっている関係上、あと1局しかできなかったがこれは北村さんと。内容は二転三転という感じだったが、最後は頓死で拾わせてもらった。もっと長く居たかったのだが、なごりを惜しみながら小倉を去る。次に来るときは余裕をもって訪れたいものです。北村さん、どうもありがとう。

【天草へ 11月23日(土)】

 翌日は九州自動車道で熊本へ。これも予想外に早く熊本まで着いたのでICを降りて水前寺公園を観光。そのままR57を経由して天草諸島へ入る。天草五橋の眺めは絶景で、ここは国立公園になっている。橋を渡る車が皆、やけに遅いと思ったら景色に見とれているんですね。

 さて、上島を突き抜けて下島に入るあたりで田尻と待ち合わせ。ついに自力で日本の最西端のようなところまで来たとはなあ。。。と感慨深げだった。

 案内された将棋道場では地元の天草支部の人や大牟田支部の人たちと歓談しながら二面指しで6局ほど対局。終了後は明日のたいぶり大会に前夜祭ということで歓迎を受ける。二次会では明日の招待者である早咲アマ名人も合流して将棋談義に花が咲いた。

天草にて

【たいぶり名人戦 11月24日(日)】

 朝から田尻をはじめ世話役の人たちがハッピ姿で走り回っている。76名の参加とは大きな大会だ。賞品はでっかいたいやぶりを中心とした海産物で、なんと参加者全員に賞が出るとのこと。開始のときには早咲君と共にごあいさつ。「私は特に招待でもなんでもなく、旅行がてらの一般参加なので、まあ気楽に指したいと思います。」本音ですよ(^-^;;;)

たいぶり名人戦

 会場に座っているといろいろな人から声をかけられて嬉しかった。以前大阪に住んでいた人とか、雑誌で見るのと変わらないですね(^-^;;;?)とか、なかでも将棋ジャーナルはよく読んでいましたよと言って以前私が連載していた「ノヤマ!で勝て」のコピーをファイルにして全部持って来ている人が居るのにはまいりました(^-^;;;;)。

 対戦方法は2組に分けてのスイス式トーナメントで5局指し。一方には早咲アマ名人、他方には私の名前がある。内容はともかく5連勝した私は一方の組の全勝者と対戦することになるがやはり、という感じで地元の若手強豪を連覇した早咲君と優勝をかけて対戦することになった。

 持時間は10分の30秒。将棋の内容はこんな感じで、図では手厚くて指せると思っていた。だが秒に追われて△3五歩▲4七金△5六歩▲同銀以下攻め駒を呼び込む順になっては失敗。△3五歩が手順前後で、△5六歩▲3九飛△3五歩で良かったと思う。将棋はその後やっと反撃の順をつかみ、かなり流れも変わってきたところでもう一辛抱ができずに敗戦。この将棋は熊本日日新聞に掲載されるらしいから楽しみにしています。(^o^)

途中図

 終了後は打ち上げ。ここで賞品のたい、ぶりは刺身、あるいは煮付けへとなるわけなんですね。十数名で魚をつっつきながらの歓談は大変楽しかった。早咲君はここでもやはり将棋勉強法の質問を受けていた。主なところではとにかく棋譜をたくさん並べること。意味がわからなくてもいいからさっさと並べる。意味を考えてもわからないから。なるほど、これは私も同じ考えです。他人の指した将棋なんて意味がわからんから、感覚をつかむためにさっさと並べるのはアマチュアにとって良い方法と思います。その方が楽しいしね。

 何手先まで読むか?彼はこれに対し「5手ぐらいをそれぞれ30手先まで」と答えていた。同じ質問で私は「いやいや、私はせいぜい5手ずつ10手先ですよ。」と答えていたが、早咲君の場合は「30手先が見えるので、だめと思ったら捨てます。」というふうなことを言っていた。なるほど、読むのではなく「見える」ということなんですね。

 二次会では更に将棋談義が続き、おみやげも持ちきれないほどいただいた。熊本の方々、どうもありがうございました!

【別府 11月25日(月)】

 朝、天草を出てしばらく国道沿いに走ったあと大分自動車道をぶっとばして別府へ。熊本の国道沿いでは九州ラーメンを食べたかったがちょうどお昼どきに通った道ばたにはなぜか店が見あたらず、仕方なしに入った小さな店でチャンポンを食った。店を出てからしばらくすると有名な金龍園が。。。あいたたた。

 夕方から早咲君の呼び出しを受けて別府の将棋クラブへ。ここでは地元の有望な若手ということで、山崎由太郎君(高1)、江口隆雄君(高3)と対戦する。いずれも矢倉の激しい将棋で将来が楽しみです。

別府にて

 夕食は地元の世話役の中心的存在である七蔵司仁紀(ななぞうしひとし)さんと、早咲君が子供の頃から師匠として慕っていた坂元輝行さん、早咲君と共に4人でふぐ料理屋へ。ここでも九州における将棋大会の運営の苦労や、将棋の勉強法など、プロ棋士の話など将棋談義に花が咲いた。早咲君はプロ八段にもネットで教えを受けていて、うらやましい限りです。

 夕食後は再びクラブへ。私も若手と指したり、観戦したりして楽しいときをすごした。別れ際「今度別府へ来るときは団体で3−4日泊まりに来てよ」という地元の方々の声をいつか実現させたいなあ、と思う。なにせ、別府の温泉はサイコーですから(^o^)

【帰阪 11月26日(火)】

 さて、一日かけて大阪へ車で帰る。九州の国道を飛ばしながら、九州における将棋の強さの秘密とはなんなんだろう、と考えてみた。ふと窓外を見ると果てしなく続きそうな壮大な山々と青い海。この大自然かなあ。都会のようにあくせくせず、おおらかに明るく伸び伸びと育ってきたのが田尻、早咲なんだろうなあ。将棋にもそれが表現されているような気がした。

 さて、数時間走ると関門海峡。さようなら、九州。いつかまたこの地を自分の足で訪れる日もあるでしょう。暖かい風土に包まれたこのおおらかな土地で九州の人とお会いし、将棋談義でもかわしながらゆっくりと対局したいものです。ありがとう九州の皆さん、またお会い致しましょう、それではまた!

(了)


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