イベント・レポート

第14期竜王戦第1局、羽生リベンジ

 〜〜〜 Can You Keep A Secret ? 〜〜〜

日時:2001年10月16日(火)9時〜17日(水)19時19分

場所:千代田区「パレスホテル」

リポータ:西田 文太郎 e-mail : nishida@cs.ricoh.co.jp


【近づきたいよ君の理想に】

 羽生善治という棋士が、夢の七冠王を達成したのが96年2月14日。その少し前から私の将棋熱は上がり始めた。テレビ、雑誌などのマスコミで報道される七冠王羽生善治と七冠目を奪われた谷川浩司の両雄の一挙手一投足は私の熱をあげるばかりだった。
 あれからすでに5年、羽生善治はいまだに四冠を保持し、今日ここに五冠目の奪取の舞台に躍り出ている。将棋のタイトル戦は何故か挑戦者に過酷な道が用意されている。そのきわめて狭き門をくぐり抜けて挑戦者となった、羽生善治。そんな羽生の頭脳に少しでも近づきたい、ちょっとで良いから触ってみたい。身長172センチの外見は細身で、笑顔がいつも初々しい。
 対する藤井猛という棋士は、奇しくも羽生と同い年。1970年9月29日生まれ。羽生が27日なので、わずか2日の違いしかない。プロ棋士となったのは15歳羽生の85年に対し、藤井が二十歳の91年と6年の開きがある。中学生でプロになれなければ大成しないという迷信もあるが、藤井はのんびりとゆったりと、迷信をうち砕き、大器晩成を具現している。がっしりした体躯に乗った笑顔は、細い目の上を渋くたゆたう。
 将棋の主な戦形をいともたやすく操り、オールラウンドプレーヤーといわれる羽生に対し、独自の新戦法「藤井システム」を開発し、98年度の第11期竜王戦で谷川浩司から竜王位を奪い取った。
 昨年は、羽生対藤井は二つのタイトル戦で死闘を繰り広げ、第48期王座戦は3勝2敗で羽生が防衛し、第13期竜王戦は4勝3敗で藤井が防衛した。通算の対戦成績は藤井の10勝8敗で、羽生が負け越している特異な存在だ。その藤井システムは今なお健在で進化し続けている。しかし、多くの棋士が藤井システムを研究し、公式戦でも採用されているので、この先どこまで看板を維持できるのか興味深い。もし、今期羽生に粉砕されてしまえば進化は止まってしまうかもしれない。
 最近10局のそれぞれの成績は羽生7勝3敗、藤井3勝7敗とくっきり明暗を分けている。それぞれの対局合計20の中身を知ることができないので、軽々しく判断はできないが、藤井さんは調子を落としているようだ。


【おとなしくなれない Can You Keep A Secret ?】

 パレスホテルはひどい。
 将棋の七つのタイトル戦が東京都内で開催されることは意外に少ない。それが、今年は大手町のパレスホテルで開かれるとあって、仕事を休む為の準備をしていた。パレスホテルに電話してみると、竜王戦は承っているが、公開の席は用意していないという。
 がっかりして、会社の休みは申請しないでいた。月曜日、あきらめきれずにホームページを見ていくと、解説会をやるように読めるものがあった。また念のため関係者に聞くと見られるという。急遽火曜日の午前中を休みにして、ホテルに行ってみる。どこにもそれらしい案内は見つけることができない。フロントで聞くと、前に電話で聞いたと同じ返事だ。しかし、一般でも見られるはずと食い下がると、10分以上も待たされて、やっと、会場を教えてもらえた。隣のビルの3階だった。
 行くと、すでにテレビの生収録がスタートしていた。解説は島八段、聞き手が中倉彰子女流一級だ。


【Hit it off like this】

 なんとかうまく解説会の会場にたどり着いた。正面左右の大型スクリーンが対局場の羽生善治挑戦者と藤井猛竜王を映し出している。片方のスクリーンは将棋盤を天井から映し出している。立会人は原田康夫九段と中田宏樹七段、記録係は熊坂学三段。
 会場は100人も座れるかどうかという狭さだが、朝9時過ぎなので、観客はほとんどいない。ワインレッドのツーピースにブーツ姿の中倉彰子女流が緊迫した対局場と解説会場に美しい花を咲かせている。秋らしい装いの、洒落たデザインのワインレッドのトップに白い肌が映え、目や鼻が形よく収まっている。中倉さんは日曜日毎に我が家にやってきて、しばし解説者と談笑し、美しい残像を残してはいなくなる。
 今日のテレビ収録はわずか1時間の放映番組だが、その収録現場を生で見られて、幸せだ。きれいな人を見ると、すぐにのぼせ上がるのはフーテンの寅さん級だ。無駄なことだと頭では分かっていても、気持ちがフラフラと飛んでいく。
 解説は島朗八段、初代竜王だ。将棋そのものでの活躍も素晴らしく、今期B級1組では全勝街道を突っ走っておりA級への復帰を期待させる。また「読みの技法」「純粋なるもの」「角換わり腰掛け銀」「将棋界が分かる本」など著作での活躍は棋界の宝である。更に、解説は歯切れがよく、わかりやすい。第1期竜王戦ではアルマーニのスーツで登場し、和服でのタイトル戦に一石を投じた。奨励会員だった佐藤、森内、羽生らとの島研も有名で、将棋界の発展に革新を試み続けている。


【ここからずっと送ってる暗号を 君はまだ解読できない】

 立会人原田九段の「藤井竜王の振り歩先」という声が聞こえ、熊坂三段が白い布を広げ、藤井竜王の歩を5枚取り、両手でシェ−カーを振るようにかちゃかちゃよく振り、布の上に投げられた振り駒はと金が3枚でて、羽生の先手となった。先手後手を駒の裏表で決めるルールで、それはそれで見物の儀式ではあるが、私はふと疑問に思う。タイトルを防衛するものは、初戦は挑戦者に先手を持たせるべきではないだろうか。七局目は振りゴマでやむを得ない。
 初手、▲76歩を指したところで、写真撮影のための指し直しが演じられる。厳しい対局の始まりにしらけるなあ。カメラマンだって演技の初手で真実の報道ができるのだろうか。
 やがて、局面は進み、△94歩▲78玉が、指される。藤井システム特有の早めの端歩に対し、受けるかどうかが出だしの興味の一つ。受けないときに、藤井システム側が突き越すかどうか。△43銀▲96歩と、ワンテンポずらして、先手が端を受けた。いかにもこう指すのが端の折衝としてふさわしく見える。
 意味深いやりとりがあった。藤井システムが多くの棋士に採用され研究されていることに触れて、島さんが指し手は真似されるのはやむを得ないといい、中倉さんが特許はないですからと受ける。今、アマチュアとプロとを隔てている大きな壁は、プロの最新の棋譜が公開されていないことだ。棋譜そのものは真似をされてもやむを得ないもの、特許にできないものだから、プロ棋士に公開するのと同時にアマにも公開すべきである。


【伝えよう、やめよう このまま隠そう 逃げ切れなくなるまで】

 ▲55角戦法に対し、藤井システムはどう対応するのか。島さんは研究で藤井・森内が類似局面を指し、居飛車がよくならなかったことをオープンにしてくれる。この貴重な情報を持っていることもすごいのだが、それを公開してくれるところが島さんの良いところだ。
 通信技術の進歩で、対局者にこういう情報を伝えようと思えば伝えられる時代になっている。しかし、そのような行為は将棋そのものを滅ぼすことになるから、誰もしないだろう。技術が進歩しても使う人の心が健全である限り、心配する必要はない。
 先手の角が追われ続けて、△43銀で角取りの局面。先の研究ではここで角を引いて、不利になっているが、羽生は違った。ここでしか通用しないという▲24歩と指したのだ。

 島さんは、羽生さんが事前にこの研究を知っていたわけではなく、対局の現場で、咄嗟に危機を察知し、回避する妙手順をひねり出したものだろうという。もっとも、島さん自身がこの手順を研究していた可能性もある。そして手柄は檜舞台に立っているものの権利と考えているとみるのも、一興である。


【信じよう、だめだよ まだ疑えそうだもの】

 ここで、藤井さんは△24同歩▲26角のあと、83分の長考の末、△25桂という決戦の順を見送り、△34歩と辛抱した。事前の研究を信じて決戦に行くか、辛抱するか、読みに読んだに違いない。膨大な読みを隠す豊富な黒髪はセンターで分けられ、きれいなウエーブがかかっている。
 すると、51分の長考返しで▲23歩の垂らし。後手からすれば憎たらしの歩。羽生さんの指し手がしばしばプロの感嘆を誘うのは、このような組み合わせの妙の時が多いように思う。▲24歩から▲23歩で先手が指しやすくなった。後手の攻撃の主力飛車、角、銀、桂が金縛りにあったように、身動きできないのだ。藤井さんの83分の読みの中に、この垂らしの歩は浮かんでいたのだろうか。


【悲しくないよ 君がいるから】

 二日目の午後は、うまく休みが取れて、再びパレスホテルに向かう。会場は、ほぼ満員に近いが、荷物をおいてある席が、聞くと空いていたので、座ることができた。
 藤井さんの手番で、中田さんが解説中に主催の読売新聞社の小田さんが次の一手を企画してくれた。△25歩か△72銀か。正解は△72銀と玉を固める方だった。20人ほどの人が、扇子をもらった。藤井「静心」羽生「平常」と書いてあるそうだ。大盤解説会に行ったときの数少ない楽しみの一つだ。
 羽生さんの角が▲77角と80日間世界一周の旅をして帰ってきた。角だけで27手の内8回も指されている。大いなる戦果を上げて故郷に錦を飾るという凱旋だ。
 しかし、さすが竜王、その角をめがけて△44角とぶつけてきた。こうして、団子状態の後手の攻撃陣に息が吹き込まれ、再び互角の形勢になった。どうやら、△44角の直前に先手は飛車を追われて▲16飛としたのだが、この手で、▲22歩成と攻め合う方が先手は優勢を維持できたようだ。

 解説会の合間に、頭を休めるため外にでる。皇居を眺めながらひとり散歩する。朝からの雨は冷たいけれど、皇居の緑をぼやかしてロマンチックな気分にさせる。うろ覚えの宇多田ヒカルのキャンユーキープアシークレットの歌が聞こえる。一人雨の中を歩いても悲しくなんか無い。


【近づけないよ 君の理想に すぐには変われない】

 局面は角交換の後、角を打ち合って、△12飛などという奇手がでて、解説者を苦笑させた。しかし、手の広いところで、解説が当たらないことは、全く問題がない。むしろ、棋士それぞれの個性が分かり、面白い。問題なのは手が見えずにおろおろして、難しいとか、難解だとか言って立ち止まる解説者だ。最近そういう人の解説会には行かない。テレビでもそういう人が解説ならば、あまり見ない。その点、島さんはどんどん変化を述べ、その局面がどういうわけでどちらがよいのかを明快に解説する。瞬間芸なので、後で調べると間違っていると言うこともあるかもしれないが、そのときに必要なのだから、少々間違っていても許される。
 居飛車党ばかりの解説で、やや単調になってきた。振り飛車党の声が聞きたいと思っていたら、読売の小田さんが鈴木大介六段を呼んできてくれた。一昨年、藤井竜王に挑戦した若手有望株だ。
 藤井さんが秒読みになって△25金と打ち、羽生さんが10分ほど残して▲31角と打ったあたり。△52飛に▲54歩の叩きは悪手で、逆転したのではないかという。時間が無くて詳しく解説してもらえなかったが、青野九段も単に▲44歩とすべきという。そこで△54歩とするでしょうと島さん、しかしその後の解説は聞くことができなかった。
 鈴木さんの解説は、鋭かった。羽生さんの▲77桂の瞬間、これは受けの手だといった。桂馬が今まで座っていた89の地点に金を打って受けるのだという。こういう率直な解説も嬉しい。

 テレビの放送は間に囲碁のタイトル戦を挟んで、6時に終わった。アナウンサーが何度も「31歳対決」とか「永世竜王に王手がかかるか」といった同じフレーズを口にするのが退屈だった。
 今日は生を見ているから、いいけれど、いつもテレビで悔しい思いをしている。どうして、最後の一番面白いところを中継してくれないのか。終局まで伝えるのが理想ではないか。


【悲しくなると君を呼ぶから】

 鈴木六段が予言した▲98玉が指された。藤井竜王は50数秒で投了を告げた。あの瞬間が、とても悲しい。
 心の準備はできていても、自ら負けを告げなければならないことは、強い精神力を要求される。ごくまれに、実は勝っていたのに負けたといってしまうこともある。判定を自分で下すというゲーム、スポーツは囲碁などは別として他になかなか思いつかない。そして判定がもめ事の一因になることがよくある。
 その点、将棋の判定はすっきりしている。


【Or このまま secret ?】

 今日の中倉さんは濃紺のブラウスにベージュのパンツで、一転してスポーテイーだ。女流棋士が聞き手を勤めるパターンは最近定着している。男性の観客が多い将棋では、女性は希少な存在だ。更に将棋が相当強くなければ、聞き手として役に立たない。そして、美しければ美しいほどいい。

 ダイジェストの収録までに、最後の藤井竜王が投了する場面を編集しているため、待ち時間があった。その間、カメラマンの機転で、感想戦をスクリーンで見られたけれど、音声がよく聞こえなかったのが残念だった。盤上に行き交う指し手は、解説であれこれ検討された局面が多かった。
 もしかして、後手番藤井システムは、相当なダメージを受けてしまったのではないだろうか。▲55角からのダイナミックな転回は、後手になかなか隙を見せない。
 ダイジェストの収録をリハーサルからじっくり見た。リハーサルといっても簡単な段取りだけだ。デイレクターが5秒前とかいって、しきる。ああいう仕事も面白そうだなと思う。カメラマンが何人か居てそれぞれ持ち場を受け持っている。収録が始まり、島さんの解説が流れる。最後に、声が上がった。どうやら、一五分の番組なのに、一四分で終わってしまったらしい。
 皆気を取り直して再収録をした。こちらは二度も見られてラッキーだ。島さんの解説は二度目の方が断然よかった。
 大満足で、雨に煙る真っ暗な皇居を離れた。心の中は広い宇宙の闇をさまよっている、だから、このままシークレット。


 (完:記01年10月21日)


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