イベント・レポート

第12回 アマチュア将棋団体日本選手権

〜〜〜慶應、勝負強さを発揮して初優勝〜〜〜

年月日:2000年2月5日(土曜)13時〜17時

場所 :大田区「リコー厚生年金会館」

リポータ:西田文太郎 e-mail : nishida@cs.ricoh.co.jp

【社会人対学生】

 毎年、新春恒例となったアマチュア将棋団体日本選手権は、89年に始まって 、今年で12回目を迎える。社会人の団体日本一と学生団体日本一との間で、団体日本一の座をかけて争われる。ここまで社会人側が7勝4敗とリードしている。1チーム7人制で、持ち時間は各60分、使い切ったら、一手60秒未満の秒 読みとなる。持将棋は24点法を使う。また、持将棋、千日手が2回の時は各0.5勝となる。

   今年の社会人チームは、去年の職団戦で、春・秋両方制したリコーが文句なく 選ばれた。3年連続通算8回目となる。一方学生チームは、昨年12月の王座戦で初優勝した慶應義塾大学の初出場となった。

   リコーはアマ強豪の谷川・野山・瀬良といったベテラン勢と、佐々木・牧野・菊田の若手に大型新人山田が加入し充実した陣容である。職団戦もS級初の3連覇を達成し、新旧勢力のバランスが上手くとれはじめてきた。

   慶應は、北川が関東名人になったのをきっかけにしぶといチームに変身し、目下団体戦17連勝中である。王座戦は古田の8勝1敗という活躍もさることながら、日替わりヒーローというか、どの勝ち星も貴重なため全員がヒーローであった。キャプテン任田の作戦も図にあたり、優勝争いに直結する後半の京都大戦 、東北大戦、東京大戦、立命館大戦はいずれも4勝3敗の勝ちという効率のいい勝負強さを発揮している。特に、立命館大は有力若手の加入で優勝候補のナンバーワンと目されていただけに、個人の力プラスアルファの団体としての力を見せつけた。


【結果はリコー惜敗】

 過去6度優勝しているリコーも油断はならない。しかし、ここのところ東大 、早稲田ばかりで、慶應は初顔ということで、心のどこかに隙があっても不思議ではない。対戦者の予想オーダーや、棋譜も山田が掲載してくれたが、どこまで 研究していただろうか。

 一方の慶應はキャプテン任田の号令のもと、応援団も含め全員スーツで決めてきた。準備段階では、社会人側が先にメンバーを公表し、学生側が好きな相手を選べるようにしようかという提案もあったが、慶應側は正々堂々と戦いたいときっぱりと断ってきた。

 NHKの囲碁・将棋ジャーナルは、将棋の話題をタイムリーに報道してくれる貴重な番組である。今回も、「結果は4勝3敗で慶應大学の勝ち」と久美ちゃんがアナウンスしていた。それに対し、解説のI九段は「学生が強い」という発言をしていたけれど、事実を知らず先入観だけで全国に広めてしまったのは残念であった。これでやっと学生側が5勝7敗と追いついてきたのだから。


【大将戦:▲山田洋次vs△河原慶】

 真っ先に決着がついたのが大将戦で河原の投了。山田は30分近くも時間を残 しての快勝だった。  河原は、97年学生名人、98年オール学生選手権優勝と、押しも押されぬ学 生界のエースである。スーパースターではあるが、新聞配達をやり通しているというしっかり者だ。

 山田は、あらゆる戦形を指しこなすオールラウンドプレイヤーである。角使いが上手く、自陣角に独特な味がある。毎年金沢で成績優秀者を集めて行われる個人の全日本選手権で98年3位、99年準優勝と活躍している。団体戦でも、職団戦、社団戦と部内一の高勝率を誇り、今回は初めて大将に抜擢された。新しいリコーのエース誕生である。

 先入観というのは恐ろしいもので、私自身も過去の実績に頼って今回の闘いを見過ぎていたようだ。時はどんどん流れ、過去の実績もそれにつれて流れていく。勝負というものは、そういうものだ。時の流れに抗って、強さを持続することは、プロでさえ難しい。

 将棋では強さを現すものに、段位や級位というものがあるが、これも必ずしも今の強さではなく、その人が一番強かったときの段位を示していることが多い。

 相居飛車模様の変則的な出だしから、後手河原が飛車を3間に振り、対する山 田は19手目に早くも▲65歩と角交換を迫る。角交換を必死に防ごうとする後手陣に、執拗に迫った先手はついに角交換から2筋突破に成功する。後手はその代償を5筋に求めようとし、39手目の▲32とに手抜きで△57歩成とした。結果的にこれが悪手で、以下、銀を捨て、金を捨てて玉をおびき寄せ、角打ちで仕留める山田の稲妻のような寄せを見せつけられた。

 慶應のスーツに対し山田はラフなシャツ姿で、対照的だった。私などは普段スーツなので、休日くらいはラフに過ごしたいという気持ちになる。特にネクタイは気持ちがぴりっとするという効果もあるが逆に首が苦しいというのもあり、私はネクタイ無しで指したい。ちなみにリコーは服装に関して、恥ずかしくないようにという指示だけであった。プロの将棋のタイトル戦でも和服だ、スーツだと話題になることが多いが、服装一つにもその人のそのときの人生観が現れるものだ。農耕民族といわれる日本人にとって、他の人と異なるというのは、服装一つ取ってみてもかなり勇気のいることだ。新しい世代の旗手とみられる島八段もタイトル戦にスーツで登場し話題になったことがあったが、最近は和服にしているようだ。よけいなことに気を使わずに将棋に集中したいということもあるのだろうか。


【七将戦:▲谷川俊昭vs△岩本健】

 谷川は、いわずとしれた浩司棋聖の実兄でアマ6段、アマ棋戦でのタイトル獲得も数え切れないが、かなり昔のことなので、データベースからところてん式に押し出されかけている。部内レーティングもじわじわ後退しているが、時の流れに抵抗して、「悪魔の一着」は、健在であることを見せてほしい。彼はいつもネクタイをしている。

 岩本は、高校関東名人で、自分が一番強いと思っているということだ。適当な序盤にイカサマな終盤とプロフィールに書かれている。飄然としたポーカーフェースだ。

 確かに適当な序盤のようで、谷川のカニカニ銀に、居玉のまま銀を2枚もたれて、苦しい。谷川は、その手持ちの銀を飛車いじめに使い、後手はだるまさんのように手も足も出なくなるかと思われた。しかし、私の大局観は狂っていたようで、あんなに玉から遠いところで銀を二枚も手放すようではまずいのかもしれない。

 ポチポチと飛車を追いつめて▲65手目52成銀寄と、飛車を手中に収めたと思うのもつかの間、68手目△68角成(おや68のパレードだ・・・)とばっさり角を切られ、谷川玉は急に寒くなった。70手目の△78銀が決め手で、まもなく谷川玉は詰まされてしまった。

 どうやら、楽観していた谷川は温泉に浸かりすぎて、角切りが全く見えていなかったようだ。まあ、たまにはこういうこともあるさ。まだまだ、一勝一敗なので余裕である。


【四将戦:△野山知敬vs▲古田龍生】

 野山の朝日アマ5連覇は、未だ破られることのない金字塔である。大阪に住み 、正棋会を引っ張り関西将棋界のリーダーである。リコーの主将としても活躍しており、大会のたびに遠征するハンデは、東京に住んでいる我々には想像以上のものだろう。パソコンを駆使しての棋譜研究には頭が下がる。

 古田は学生名人ベスト8、今回の王座戦優勝の最大の貢献者という。ブルジョワジーの永遠の象徴であるメルセデス・ベンツでさっそうと登場し、いつも物事を金で解決しようとする悪い癖があるという。髪をやや茶に染めて黒シャツに銀色のネクタイは、お洒落でよく似合っている。

 矢倉戦で、珍しく先手が▲46角と覗いている。やがて、この角が、26に展開し、4筋に飛車が回って、桂が37から45と跳ね、▲44角とあっさり切って51手目の▲53銀が厳しい。これは古田システムと呼ばれて猛威をふるっているらしい。

 苦しい野山は、9筋から必死に手を作るが、79手目の▲65歩が決め手となって、挟撃体制にあった銀を素抜かれて、完敗となった。そういえば、野山は初手合いにやや弱いような気がする。


【三将戦:▲瀬良司vs葛山拓生】

 瀬良は、79年の学生名人、リコーでは団体戦でめっぽう強く、安定感ナンバーワンである。その日の気分で色んな戦形を指しこなす。

 葛山は、97年の高校竜王である。慶應の若きエースといわれ、空中戦を得意とする正統派の受け将棋という
。マシュマロカットで、ビジュアル系の怪しい容姿は男にも人気があるとか。王座戦では一年生ながら7勝2敗と活躍し、とりわけ決勝戦となった立命館大戦で佐伯から奪った白星は大きい。王座戦で団体戦個人戦を通じて佐伯に対し唯一の黒星を付けている。

 矢倉▲37銀型から角交換となり、瀬良の自陣角が炸裂して、優勢になる。しかし、途中で一旦受けに回るべきところを攻め急ぎ、差が縮まった。寄せ合いで 、76手目、葛山が飛車をかわいがったのが敗着で、よれよれの勝ちとは、瀬良本人の弁。

 何はともあれ、これでやっと2勝2敗で、五分になった。この時点では、佐々木と牧野がいずれも優勢で、菊田は互角という感じだった。


【六将戦:△佐々木修一vs▲高野卓大】

 佐々木は、学生名人、全日本選手権優勝とでれば好成績を残すが、将棋は疲れると言ってめったに大会にはでない。この日も、秋の職団戦以来という、一月遅れの指し初めである。将棋は矢倉党であり、手数の長いのは気にかけない。だからよけい疲れるのだろう。

 高野は、慶應藤沢に通う、学業優先型。しかし、慶應一の研究家ということで、純粋振り飛車党で、関東個人戦ベスト4になっている。濃い青のシャツが鮮やかだ。

 高野の4間飛車に対し、佐々木は、最近では珍しい玉頭位取りを見せてくれた 。長い駒の組み替えが続き、初めて駒がぶつかったのが55手目の▲55歩。そのあと小競り合いがつづいて88手目の△25歩で先手陣の玉頭に火の手が上がった。最後は、自陣に詰がないことを確認し、飛車を捨てて詰めよをかけて仕留めた。


【五将戦:▲牧野正紀vs△北川直哉】

 牧野は、九州学生名人、リコーではS級の1軍と2軍の間を彷徨っているが 、ここへ来て、レーテイングで、僅差で5位に入ってきた。豪快な棋風と勘違いし勝ちだが、実は豪快な手つきでチェスクロックを叩きのめす。秒読みになると、獲物に飛びかかるライオンのように、最後の1秒までじっと息を殺して待ち、瞬時に、時計を押す、いわゆるライオン丸の1秒止めが特技である。

 北川は、関東名人になって、それまでちぐはぐだった慶應将棋部に活を入れ 、それ以来、団体戦17連勝中という、奇跡の引き金を引いた男である。

 牧野の4間飛車に、後手の北川は△53銀左、△73桂、そして、28手目 、でたー、冨沢キック。歩の頭に跳ね出す△65桂馬だ。対して、飛車には成込まれたが、桂得を主張し、敵陣を乱しながらの攻めは、優勢に見えた。しかし、するりするりと身のこなしの軽い北川玉はドジョウのように、中原に抜けていき、逆に、牧野玉を自ら捕まえてしまった。

 なんとこれで、3勝3敗となった。


【副将戦:△菊田裕司vs▲任田有孝】

 菊田は、ほとんどのアマタイトルを手に入れている。指し将棋ばかりでなく 、詰将棋でも傑出している。「握り詰」といって、即興で、握った駒で、瞬く間に詰将棋を作ってしまうことができる。また、「曲詰」というのも得意で、毎年年賀状に干支の初形で詰将棋を作り、ファンを楽しませている。しかしながら、彼も人の子、就職、恋愛、結婚、子育てと多くの人が通るフルコースの旅に出たばかり。まだまだ、卒業までには時間がかかることだろう。団体戦ではやや不振であったが、後半は個人戦で全国大会にでてくるなど、やはりアマ棋界の羽生である。

 任田は、個人戦では勝てない男の名をほしいままにしているという。きりっとした顔立ちで、理知的ながら、全員にスーツ着用を命令する体育会系的な面も持っているようだ。団体戦の勝ち方を会得したようで、王座戦で、本命といわれていた立命館や、強敵東大などに、ノンブランド良品を手に、4勝3敗勝ちを連ねた手腕は高く評価される。

 相矢倉の難しい闘いで、双方攻め合いとなり、見応えのある将棋となった。任田は、時々相手の顔をにらむ癖があるようだ。両手で、こめかみを押さえたり、なかなかにぎやかである。

 攻め合いから95手目、任田が▲69金と受けた手が、当然ながら、好手で 、菊田の攻め足が急に遅くなってしまった。最後、101手目の▲53銀がほどきにくい詰めろで、広そうに見えた菊田玉が、あっという間に寄ってしまった。寄せの菊田のお株を奪う見事な寄せ合い勝ちだった。

 菊田の「負けました」の声に、周りから、「オウ」というどよめきが聞こえた。いかにも勝負強い慶應という感じがした。これで4勝をあげ慶應の優勝だ。慶應の諸君、おめでとう。


【社会人対学生】

 これで、社会人側の通算7勝5敗となった。まだまだ、学生より社会人の方が手厚いように見えるが、着実に迫ってきていることは確かである。アマチュアの大会にしては、長い持ち時間での勝負、これからも好局、好勝負を期待したい。

 そして、リコーS級の奮起を密かに願う。

 慶應棋報の全国制覇特別記念号を読んだ。王座戦初制覇の記念で多くの部員が寄稿している。とくに、キャプテン任田とエース河原をはじめみんなの王座戦初制覇への熱い思いと際どい闘いの様子が手に取るように伝わってきて感動した。将棋を通じて大きな夢にチャレンジし実現した体験をもって社会に巣立っていく若者たち。彼らには、社会の荒波もかすかなさざ波のようにしか映らないだろう。

 今回も後継者の現れないまま会場設営をしてくれた安宅さんに、感謝して、お礼を申し上げたい。何とか、後継者よ、でてきておくれ。

 また、今回初めて手作りの駒を貸してくれた田中さん、ありがとう。

 本稿を書くに当たり、慶応将棋研究会のホームページを参考にさせていただきました。有り難うございます。

 (完:記00年2月13日、改訂2月27日)


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