イベント・レポート

ライエル 結婚 おめでとう!

年月:1999年5月22日(土)

場所:目黒雅叙園

リポータ:谷川 俊昭 e-mail : tanigawa@cspd.ricoh.co.jp
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5月22日(土)、五月晴れ、大安。今日はおめでたい日である。そう、リコー将棋部準部員である、ヨーロッパチャンピオンのReijer Grimbergen(以下、ライエル)が結婚式を挙げるのだ。

 この日の私は忙しかった。1時から千駄ヶ谷で、将棋を世界に広める会の会合に顔を出す。第1回の国際将棋フォーラムまで一月を切ったが、いまだに主催の日本将棋連盟からは公式には私に何の連絡もない。いぶかりながらも、2時20分。駆け足で会議室を後にして、披露宴会場の目黒雅叙園へ急ぐ。ここで、先に書いた大会にもオランダ代表で参加するMarcと2時50分に待ち合わせているのだ。

 会場に着く。待ち合わせ時間ぎりぎりである。結婚式場として有名な、ここ目黒雅叙園だが、噂通りの華やかさである。ただ、入り口から披露宴会場までが長い廊下になっており、いささか焦る。しかも4Fなのにエレベータが使えないので、エスカレータを駆け上がる。すると、後ろから「あ、谷川さんじゃないですか」という声がかかる。振り向くと、リコー将棋部のF君だった。リコー将棋部では、彼と私が代表して招待されたようだ。

来ているはずのMarcの姿を探したが、見つからない。実は、ここで、お祝い袋を渡すことになっていたのだが(彼は、オランダから来たので、当然、入手は困難である)、とりあえず受付に預けて控室に入ることにした。

 受付で渡された御席表に目を通す。国際結婚ということで、なかなか面白そうな顔ぶれだ。新郎新婦の共通の上司である松原仁氏(顔見知りである)がおられたので、早速、将棋世界の連載について話題が弾む。持ち駒を打つことなく盤上の駒を動かす動かし方が最も多い局面はどれでそのとき指せる手は何通りだとか(266手と言っておられたかな?)、ネタは今後もたくさんあるとのことだ。

 やはり、新郎はオランダ人ということで、新婦の友人が圧倒的に多いということで、独身のF君にとっては、理想的な展開となっている。なのに、彼は翌日のアマ竜王戦のために、二次会はパスするという。それは疑問手じゃないかなあ。というか、悪手だよ。ひょっとしたら、敗因になるかも知れない。

 ともあれ、持参したデジカメで、新郎新婦の写真を取りまくる。失敗しても、削除すればいいから楽だ。とか思いながらシャッターを押しつづけていると、気がついたら電池切れのサインが・・・。「おいおい」焦って、電池を買いに走る。また、エスカレータと長い廊下を往復して・・・。幸い、披露宴開始には間に合った。式が始まってから切れなくて良かったとも言える。

 披露宴は基本的に日本スタイル。新郎新婦が金屏風の前に立ち、列席者が祝福して会場に入るのだが、驚いたことが一つ。ライエルの女性の友人がキスで祝福するのだ。欧米だと当たり前なのだろうか。それを見ていたF君「じゃ、私は新婦にキスで祝福を(^^)」「いいよ、写真取るから。その代わり、後で殺されたって知らないよ」なんてくだらない会話を交わす。ちなみに、ライエルの男性の友人はキスはしない(代わりに握手でした)。まあ、当たり前か(^^)。

新郎新婦が現れる前の主役の席の前には、なぜか可愛らしいおそろいのテディベアが置いてある。何と、新郎側のテディベアは胸に誓いの文書を抱えている。なかなか細かい演出に感心。

 しばらくすると、司会の方からの紹介があり、新郎新婦が入場してきた。新郎は紋付ハカマ、新婦は白無垢。ライエルがいつにもまして嬉しそう。ライエルは自分に合うサイズの衣装があるかが心配だったそうだ。オランダ人は一般的に長身なのだ。でも、なかなかお似合いである。

 仲人なしの結婚式なので、司会の方から新郎新婦の紹介がある。新郎ライエルは1967年2月6日、52cm、3500gのベービーとして、オランダのナイメーヘンに誕生。He was born ・・・。国際結婚だけに、二カ国語での紹介があったがここでは省略。今は186cmまで成長している。もっとも、彼はサッカーもやるのだが、オランダではチビの方なので、ヘディングをさせてもらえないとか。もちろん、日本ではヘディングの名手(?)として活躍しているようだ。現在、筑波の電総研でゲーム(特に将棋(^^))とコンピュータに関する研究に従事。

 新婦裕子(ヒロコ、旧姓田島さん)は、大学卒業後、富士急トラベルに就職。その後、現在の電総研に移るが、富士急トラベル退職の時には、役員部長会で異例の送別会をしたとのこと。現在の職場でも秘書業務を担当している。要は、職場結婚という訳だ。

 二人の1st デートは、ライエルによると、95年12月5日。私の手帳を見ると、95年12月4日にライエル来日とあるので、これは正しいようだ。でも裕子さんによれば、デートと意識したのは翌年の6月。かなりのギャップがある(^^)。また、思い出の場所についての二人の食い違いが面白かった。ライエルがロマンチックに「二人きりで夕日を見に行った筑波山」なのに対して、裕子さんは「筑波市内のカラオケボックス」。これを発表された時、ライエルは顔が真っ赤になっていた。今度、彼のenkaを聞いてみたいものだ。

 主賓の挨拶が始まる。新郎新婦の職場は、主にゲームをテーマに人工知能の研究をしているそうだが、そこは通称、ゲーセンラボ(^^)と呼ばれているそうだ。そのゲーセンラボのリーダーである松原さんの乾杯で、歓談が始まる。新婦父友人の祝いの吟の後、新婦はお色直しで一時退場する。

 再び現われた裕子さんは、今度は白の洋装だった。

ライエルのJapanese Motherである日隈さんのスピーチが始まる。オーストラリアで日本語教室を開いていた日隈さんは、大分で40人ほどの外国人のホームステイを受け入れてきたそうだ。ライエルはその中の二人目。最初はたどたどしかったライエルだったが、裕子さんの日本語指導よろしく、今では、下手な日本人より日本語がうまくなっていると紹介されていた。私もそう思う。やはり、外国語の上達には、外国人の恋人を作るに限る。あれ、話が違いましたっけ(^^;)。

 続いて、新婦の茶道の先生のスピーチ。この先生もライエルが、日本のことを日本人以上に知っていることを指摘されていた。初めて裕子さんがライエルをお茶の席に連れてきた時、ライエルは、苦い、足が痛いとこぼしながらも、顔はニコニコしていたそうだ。

 ライエルの友人、Ian Frankさんのスピーチは同時通訳が入っていた。といっても、横で友人の方があらかじめ日記形式で書かれた模造紙を次々とめくっていくのだが・・・。なかなかいいアイデアだと思った。Ianさんは日本語はペラペラ。スコットランドの民族衣装のキルト(男性のスカート)を身につけており、ひときわ目立っていた。日本では着る機会がなかなかなくて寂しいそうだ。ここで、オランダ語を一つ教えてもらった。「乾杯」という言葉である。Gefelicitierdと書くようだ。発音記号は・・・書けない(^^;)。

 裕子さんの友人のスピーチの後、再び新婦はお色直し。一人残されたライエルは、いつも以上ににこにこしている。そして新婦を迎えに行くライエルは、ますます嬉しそうだ。

主役がいなくなった会場では、祝電(もちろん、リコー将棋部のものもあった)が披露される。そして、大きなスクリーンが降りてきた。カーペンターズのYesterday Once Moreが流れる中、小さい頃からの二人の写真が紹介されていく。ライエルの赤ちゃんの頃の写真が傑作だったのだが、ここで紹介できないのが残念である。

新郎新婦が戻ってきた。新郎はタキシード、新婦はピンクのドレスでキャンドルサービスである。嬉しそうな二人の顔が印象的である。

Japanese Motherである、日隈さんの二人のお嬢さんの大分民謡の踊り、新婦の親戚の方の歌(川中美幸の「二輪草」)で、宴もそろそろ最終盤にさしかかってきた。新郎新婦から、ご両親への花束贈呈。新婦のお父様のご挨拶(最後が英語だったのが印象的)、ライエルの挨拶と続く。

「これからの人生、山あり、谷ありと覚悟しております(^^)」の言葉に、思わず私も苦笑い。それでも最後は「これからは裕子と頑張って生きていきます」と締めくくっていた。最後は裕子さんの挨拶。「ライエルさんの深い愛と皆さんの温かいお心のおかげです」 そして、オランダ語で最後の言葉を述べたのが心に残った。

 宇多田ヒカルのMovin' on without youが流れる中、温かく、楽しかった披露宴もお開きになった。お二人の幸せを心から祈りたい。本当におめでとうございました。

 そんなところで、二次会のレポートは、西田さんにバトンタッチします。

(完:記99年5月29日)

 

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