【恵比寿ガーデンプレイス】
かつてここにはブルーの列車が止まっていた。山手線の恵比寿駅と目黒駅の間。仲間たちとエアコンのないあの列車の中でビールのジョッキを傾けたのは、一昔も前だろうか。
1991年恵比寿工場跡地再開発事業着工とあるから、あの列車はせいぜいそのころまでしか置いてなかったのだろう。1994年「恵比寿ガーデンプレイス」オープン。
恵比寿駅から動く歩道「恵比寿スカイウオーク」に乗る。若者にテンポを合わせてあるのだろう、新宿や有明に比べ速度が速い。
降りると、いきなり大きな建物がたくさんあり、狭いような広いような空間にでる。遠方に背の高いビルが見える。取っつきの右手には赤茶色い煉瓦作りの「ビヤステーション」があり、思わず足が止まってしまう。なくなってしまったからかブルーの列車が妙に思い出されてくる。
左手には「恵比寿三越」が見える。丸みを帯びた建物と、直線のきっかりとした低層の建物とで構成されている。
下が広場で、上が建物という構図はニューヨークのロックフェラーセンターにどことなく似ている。
中央には「坂道のプロムナード」がある。緩やかな坂道の両側に緑の木が並び、その先には「センター広場」がある。途中に白い鶴のようなオブジェが宙に浮かんでいる。「空からの声」というものだ。
【恵比寿ザ・ガーデンホール】
「ビヤステーション」をさりげなく通り過ぎ、39階建ての「恵比寿ガーデンプレイスタワー」の前を進むと、目指す「ザ・ガーデンホール」があった。
グレーの落ち着いた建物だ。受付に行くと、三角くじを引かせてもらえた。当たればセンスでももらえるのだろうか。はずれたのでわからない。
一昨年、去年と開会式に間に合わなかったので、今年こそはと思っていたが、休日の朝は眠いものだ。まもなく、第一試合が始まる寸前だった。
場内のアナウンスで、「ベストドレッサー賞」が、観客の投票で決まるということを知った。
【第一試合】
16組のペアが8つに分かれたリングのようなベルトで囲われた場所で対局する。秒読みと記録の二人がついて、碁盤を挟んで各ペアが座る。観客は、運の良い人は、わずか1メートルくらいのところでプロ棋士をみることができる。
私はリボンの棋士を目指して一番奥の対局場にいく。すでに、かぶりつきは満員だが、その後ろからのぞき込む。工藤天元とのペアだ。相手は趙治勲棋聖・名人・本因坊と小林千寿五段だ。囲碁・将棋ウイークリーの古作さん風にいえば「ちずさん」だ。ベージュのパンタロンスーツだ。趙大三冠はシルキーなシャツにチョッキとスーツで、ネクタイは締めていない。
対して、工藤天元は桔梗か何かの花柄のネクタイできめている。小雑誌「ダカーポ」に「リボンの棋士」というエッセイを連載中の梅沢由香里二段は白いダブルのスーツにミニのタイトスカートで、髪はパンフレットの写真よりは短めだ。左手の小指で、金のリングにグリーンの石が輝いている。
その手が石を2個、ペア碁専用2段式碁笥からつまみ出し、一方ちずさんが握った石を数えると、偶数だった。先番の由香里さん側からみて左下隅、右下隅、そして下辺中央に石が集中して、下辺から中央に双方の石がのびていく。
どちらがよいのかわからないが、ちずさんペアが攻めている。しかし、大石が生きてしまうと、かなり黒がよいようだ。
感想戦も間近で聞ける。私はいつの間にか最前列にたっていた。序盤で黒がリードしていた。途中、黒に疑問手があり、趙さん曰く「逆転の目がでた」そうで、白が黒を攻める展開になった。しかし、白が厳しく追い上げるべきところをケイマに緩めたのが緩手だったようで、黒がしのぎきった。そういえば、あのケイマが打たれたとき、趙さんは心持ち盤から遠ざかり、次の着手はビシリッとかなり激しくたたきつけていた。
気がつくと、我が同志、由香里ファンも駆けつけていた。
【二回戦】
次が始まるまで、20分ほどある。しかし、由香里ファンと由香里stは、最前列で見るために、この場を離れるわけにはいかない。
ほかのどこが勝っているのかもあまり関係ない。会場の運営を仕切っている若い女性が目を引く。デイレクターというのだろうか、ヘッドホンをつけたまま、超ミニのスーツに身を固め、長い脚を活発に動かして、あちらと思えばまたこちらとめまぐるしい。
二回戦は、真っ赤なしゃれたワンピースの岡田結美子四段と若きホープ山田規三生王座だ。リングの外から武宮九段が声をかける。工藤天元が前前日に天元戦第4局で小林光一九段に勝って2勝2敗としたことにふれ、よかったですねという。由香里さんには、テレビの温泉番組にでていたねとふると、「あっ、内緒にしてたんですけど、見ちゃいましたか?」とにこにこしている。
武宮さんが両手で、襟をつかむ仕草をしながら、「お湯には入っていなかったね」といえば、「ええ、お粗末なもので」と答えると爆笑が沸く。
対局が始まってしばらくしたら、先ほどの超ミニがやってきて、名札の山田、岡田ペアの方にに、先番の印を張っていった。一陣の竜巻だ。
タイトル戦と温泉の疲れからか、黒の着手がさえない。中央付近に模様を張ったが、岡田さんの放った単騎の黒石にまんまと生きられてぼろぼろになってしまった。
【冬のひまわり】
ZARDが新曲を2枚出した。そのうちの一つ、「新しいドア〜冬のひまわり〜」は五木寛之の「冬のひまわり」に想を得ているらしい。小説の中では、恋する男が鈴鹿の耐久レースの最後までスタンドの待ち合わせた場所に立っていたら、走り寄っていこうと女が決心している。
由香里stとしては、次の試合も最前列に立ちつくして最後まで見たいのは山々だが、残念なことに、腰が猛烈に痛くなってきた。のども渇いた。運悪く、すぐそばに「恵比寿麦酒記念館」がある。
あそこにいけば座れるし、のどの渇きもいえるはずだ。由香里ファンも仕事で去り、もはや一人で、耐久レースを続けられない。冬のひまわりのように、もし由香里さんが「3局とも最前列で応援していてれたら、声をかけよう」と決心していたとしても、やくざな腰のためにあきらめざるを得ない。
麦酒館ではなにも見学せずに、テイステイング・ラウンジに突き進む。400円で、4種類の麦酒の味比べができる。腰をいたわるように座り、「冬物語」を飲む。そういえば、「新しいドア」はこのサッポロ冬季限定ビールの「冬物語」のコマーシャルソングにもなっている。軽くてさっぱりした喉ごしのビールだ。
【準々決勝進出戦】
1,2回戦で連勝したペアは準々決勝進出が決定、連敗したペアはそれまで。1勝1敗のペア同士が準々決勝進出をかけて戦う。
今度の相手は、青木喜久代七段・本田邦久九段ペアで、昨年の優勝ペアだ。
耐久レースを放棄した罰で、リボンの棋士の周りは人だかりで、全然見えない。仕方がないので帰ろうかと思って別会場のテレビ画面の前までいくと、なんと趙治勲大三冠が解説をしているではないか。
ラッキー。
たった一つ空いていた最前列の席に座る。趙さんは、歯に衣着せずズバズバ言うし、オーバーアクションでとても面白い。今年の最後はこの棋戦にかけていたのに、二連敗して悔しいと、大げさに泣く真似をする。
【特別解説会】
パンフレットには何も書いていないから、この解説は趙さんの特別ファンサービスなのだろう。嬉しい大物だ。形勢判断を瞬時にしてしまう。会場のファンとのやりとりも余裕があり、楽しませてくれる。
大型のスクリーンが8台並び、同じものが二面ずつある。右端が杉内・結城ペア対西田・柳ペア。西田・柳ペアの大模様がすばらしく、大優勢。
次が、リボンの騎士たちだ。序盤で、これはこの一手で、青木ペアの勝ちと断定したとたんに、青木さんが逆から打っていった。結婚間近なので、碁を打っている場合ではないだろうとあわててフォローする。しかし、局面はその手を境に、由香里ペアが大優勢になった。
隣は、加藤朋子・依田ペア対小西・加藤正夫ペア。かなり細かいようだ。会場から白がよいという声に対し、趙さんは「何段?」ときき、「五段」といえば、「六段はあるね」と持ち上げる。ここは、優勢だった依田ペアが「優勢を意識して、引いたのでどうかな」と趙さんがいっていたが、果たして、最後は逆転していた。
そのむこうは、祷陽子・石田芳夫ペア対中沢・大竹ペア。ここは中沢ペアがリードしている。まもなく、石田ペアが投了。
やがて、大竹九段が解説会に飛び入りして、趙さんと漫談を始める。一日に三局も打ってくたびれたよという大竹さん。せっかく奥さん以外の女性と半径30センチ以内に近寄れるので、張り切っていたのに、2連敗して悔しいという趙さん。
二人とも表現は違うけれど、形勢判断は、いちいち勘定しなくていいという点で一致していた。大竹さんは、図形的に見ればよいといい、趙さんは手の調子でわかるようになるという。
大竹九段がいなくなって、次に、武宮九段がでてくれた。「いやあ、今年は出場停止を食って参ったよ」と武宮さん、由香里さんは強いといっていたが、だんだん形勢が混沌としてきた。最後は、昨年の優勝ペアが大逆転していた。
【ベストドレッサー賞】
ファン投票の結果吉田美香・小林覚ペアが選ばれた。左肩にスリットの入った、赤いドレッシーな衣装の吉田さんに、この賞狙いで誂えたという小林九段のシックなスーツのとりあわせは、いかにも今年はこのペアで決まりといったベストドレッサーぶりだった。確か小林九段は昨年由香里さんとのペアでやはりベストドレッサー賞を取っていた。我が由香里さんペアは2位だった。
【クリスマスのイルミネーション】
外にでると、すっかり暗くなっていた。センター広場では、中高校生のグループが何種類かの鈴を鳴らしてクリスマスソングを奏でていた。センター広場から坂道のプロムナードにはクリスマスの豆電球が並木を飾り、きらきら輝いている。折しも、ニューヨークのロックフェラーセンターでは、ヒラリー夫人が、式典でライトのスイッチを入れたという記事がでていた。
完(記:98年12月19日)